左図は[伏見]です。[環状通(南19条通)]を西に進み、[環状通]と[白石藻岩通]が交差する西16丁目からなだらかな坂道が始まります。ここが[藻岩山麓通]の始点で少し山手に進むと、道が右と左に分かれ、左に進むと[ロープウエイ山麓駅]や[旧小熊邸]、東本願寺北海御廟などがあり、右に進むと[藻岩山麓通]が続きます。なだらかな坂道が続き[藻岩山麓通]と[藻岩山]に囲まれたエリアが[伏見地区]です。[伏見地区]については、永田康治著 伏見史稿の中に地形・歴史などが詳細に記述されていますが冒頭の部分を紹介します。[伏見は、札幌郡藻岩村の中央大字山鼻村の一部にて札幌市の西南に位し、藻岩山麓を南北に延びたる小部落なり。境界は屈曲甚だしく東は札幌市を境し、南は藻岩山の天然記念物記念原始林に迫り、南は狭く北部に広し。東西平均して約250間、南北1500余間にして総面積920余町歩とす。北に位する境川部落には札幌温泉会社の設営する一大温泉場あり本道随一の歓楽境たり。地勢は西南に山林、北部に園山と突出し三方山に包まれしをもって気候温和にして風稀なり]。
一方伏見の歴史を振り返ると、明治4年(1871年)山形県人の佐藤三蔵さん父子が伏見250番に入植その後4軒の農家が入植して[四軒村]を創ったのが始まりですが明治7年にはこの地は[山鼻村]の一部となり[山鼻山根通]と呼ばれ、集落もこの[山根通]を中心に形成されていました。その後明治39年[山鼻村]と[円山村]が合併し[藻岩村]となりましたが、ましたが、伏見も[藻岩村大字山鼻村]の一部でした。[伏見]と言う地名に変わったのは[伏見稲荷神社]と深い関わりがあります。[伏見稲荷神社]の来歴は別項で紹介しますが、明治40年現在地に移設されました。これを受けて明治34年[伏見]と言う地名が付けられました。
[山根通]
 

山根通は、かっては山鼻から円山を通って銭函・小樽方面に通ずる道路で現在の円山の草創期(明治4年当時)は沼地の原始林で、鹿の通った細い踏みつけ道である[山根通]と呼ばれたこの道が唯一の道路でした。写真上左は、[新しい札幌の地図]から関連部分をトリミングしたものです(所蔵 札幌市公文書館)。橙色の先が[山根通]で上右図の[マルヤマクラス]の横から中央に伸びている先です。藻岩村(現在の円山)の南端は右図の[札幌南14条西局]と書かれた左の十字路です。

山根通は、かっては山鼻から円山を通って銭函・小樽方面に通ずる道路で現在の円山の草創期(明治4年当時)は沼地の原始林で、鹿の通った細い踏みつけ道である[山根通]と呼ばれたこの道が唯一の道路でした。橙色の先が[山根通]で上右図の[マルヤマクラス]の横から中央に伸びている先です。藻岩村(現在の円山)の南端は右図の[札幌南14条西局]と書かれた左の十字路です。写真(左)は、[山根通]の北端だった現在の南1条西24丁目からやや斜めに走行している道路沿いの三関宅玄関前に設置されています。写真(中)は、かっての[山根通]で、写真(右)は、[山根通]の南端と言われている南14条西18丁目の交差点です。この先の[幌西自転車公園]の東端には伏見稲荷神社の標石が建立されています。この側には[米里行啓通]が走行し、これから西に向った南14条西19丁目の山麓通に通ずる階段脇には[伏見開村50年記念碑]が建立されています。ここ幌西地区もかっては伏見開拓の祖佐藤三蔵等によって開拓が進められ伏見地区の一部でした。



左図の階段は116段あり昇ると[藻岩山麓通]に出ます。
記念碑は1923年(大正12年)建立されたものです。
[藻岩山麓通]

[藻岩山麓通(道道89号)]は、札幌市中央区南19条西16丁目(ロープウエイ山麓駅入り口)を起点として札幌の街を眼下に見下ろしながら丘陵地帯を走り、途中[伏見][旭ケ丘]を経由して[円山西町]からは[円山]の山側を迂回して宮の森3-11で[北1条宮の沢通]と交差し、ここが終点となります。この間、宮の森1-11から3-11までは[宮の森北24条通]と重複しています。

[東本願寺北海御廟]
写真左は[藻岩山麓通]と歩道橋手前から左折したのが右の写真です。この道路の右側一帯が[伏見東緑地]です。そのまま真直ぐに進むと東本願寺北海御廟です。

入り口脇に[北海御廟の沿革]の案内版がそこには凡そ次の様に記載されています[ここは東本願寺の飛び地境内で[北海御廟]と称します。この土地の広さは115,710平方㍍(約35.000坪)を有し、その中央に1934年(昭和9年』建立された北海道では珍しい桃山式三重の塔[北海廟]があります。(中略)この廟を中心に5.000基に及ぶ墓碑があります]。下図は案内板


           
 [伏見東緑地]

[藻岩山麓通]の入り口で山手に向って右手、ロープウエイ山麓駅と向かい合っています。藻岩原始林の入り口でもあります。その緑地に保存されているのが[旧小熊邸]です。下図は、旧小熊邸の外観です。この建物の屋根が特徴的で谷の多い屋根に工夫が凝らされています。
小熊邸は元北海道帝国大学の教授であった故小熊捍博士の住居でした。小熊博士は北大時代理学部長や低温科学研究所長を勤められ方でフランスから帰国した氏は洒落た住宅を建てるべく北海道では建築の第一人者である田上義也氏に設計を依頼して作られたと言われています。旧小熊邸は札幌市が選定した[さっぽろ、ふるさと文化百選]にも選ばれた歴史的建造物です。1940年代に建築された住居ですが1998年現在の藻岩の麓に移転し復元されました。

[石森文学広場]
小熊邸とロープウエイ山麓駅の間の道路を進むと藻岩原始林でその手前に[石森文学広場]があります(右図)。
 [藻岩山麓駅]からロープウエイで[藻岩山山頂へ]
藻岩山へのロープウエイは、1958年(昭和36年)初めて運行しました。2011年(平成23年)藻岩中腹駅・山頂駅のリニューアルにあわせてゴンドラも新しくなりました。
もいわ山麓駅も地上4階建ての駅舎としてデビュー、ゴンドラは、定員66名で中腹駅までの所要時間は約5分です。

中腹駅到着、駅舎の側には[藻岩山神社]と[藻岩原始林碑]が建立されています。ここから頂上までは[もーりすカー]で約2分です。

山頂駅の屋上は[山頂展望台]です。360度のパノラマが見られます。当日は眺望が悪かったため、I・SAKATAさんから画像をお借りしました。


降りのゴンドラからの風景 [擦れ違うゴンドラ、藻岩山麓の札幌平和塔、 円山と周辺の住宅街、 札幌中心部のビル街]
★札幌平和塔は、太平洋戦争の犠牲者の冥福と世界・日本の平和を祈る目的で1961年(昭和36年)建立されました。インドのネール首相から贈られた仏舎利が安置されています。ロープウエイ[もいわ山麓駅]脇に平和塔への登り口があります。 
[札幌市水道博物館

左図は、藻岩山麓通の道路脇にある掲示板で、この通りから150メートルとの表示があります。山麓通りから記念館まではなだらかな坂道が続きます。また、先程紹介した[石森文学広場]から水道記念館に通ずる遊歩道も整備されていますが、起伏の多い森林道の様で歩行は諦めました。
札幌市水道記念館は昭和12年(1937)建築の旧藻岩第一浄水場の建物の一部を活用して、昭和52年(1977)に誕生しましたが、平成19年(2007)中央区伏見4丁目にリニューアルオープンしました。

坂道を登りきり記念館に到着、ここから藻岩山麓通から札幌市内を俯瞰したものです。

記念館の屋外広場に陳列されている水道機器です。


記念館の裏手は藻岩の山並みを背景に見事な庭園です。この庭園に建立されているのが橋本正冶の彫像(加藤顕清作)です。橋本正治は、1873年(明治6年)福井県で生まれ東京大学を卒業後各県に奉職した後1910年(明治43年)北海道庁勧業部長に就任しました。その後は優れた行政手腕が認められて鹿児島、山口の県知事となりましたが、昭和2年12月16日札幌市の要請を受けて札幌市長に迎えられました。9年5ヶ月にわたる市長在任中は、上下水道の基盤整備を始め幾多の施策を遺し市長としての名声を博しました。1956年(昭和31年)10月8日、札幌名誉市民として84才の生涯を終えました。
 [伏見稲荷神社]

[藻岩山麓通]の道路脇に朱色で彩られた神社の門柱が建っています。この神社は京都の伏見稲荷神社の分神を奉戴して、1884年(明治17年)に都心の南5条東1丁目に奉斉されましたが、1898年(明治31年)には琴似に遷座、更に1909年(明治42年)に現在地に遷座されたものです。この地帯は[伏見]と呼ばれていますが、これは京都本宮に準らえてこのような地名になつたとの事です。
神社の入り口から本殿まで数多くの鳥居が並んでいます(確か25だと思います)。札幌ではこんなに鳥居が続く神社はここ以外にはないと思います。実に壮観な姿です。

鳥居の側には、神社の由来書が設置されています。先程紹介したような遷宮の経緯が記載されていますが、此処には、大山祇命、大国主命、事代主命、天鈿女命の4神が祀られていますが、これらの神々は衣食住の太祖として、五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛の守護神として高く崇められています。
写真左は[本殿]で右は[願い石」です。自分の一番好きな物を一つ絶つことで願いが叶うといわれている「願い石]です。

写真左は[境内]です。濃い緑の中で朱色の造営物が見事なコントラストを描いています。写真右は[火産霊神(まむすび)]で火の神様です。