1.最古の円山


昭和3年制作の札幌市鳥瞰図   所蔵 札幌市公文書館
[円山]は、明治3年酒田県(現在の山形県庄内地方1)から農民30戸90人が移住したのが始まりで、[円山]と言う地名は明治4年当時の岩村判官が京都の円山に因んで命名したものです。かって先住民族であるアイヌの人々は現在の[円山]を[モイワ(小さい山)]と 呼び、現在の[藻岩山]を[インカルシベ(眺望の山)]と呼んでいましたが、いつの間にか間違って[インカルシベ]のほうを[モイワ]と呼ぶようになったため、本来のモイワは、地名の[円山]で定着しました。当時の両山の山麓一帯は原始林に覆われていました。この原始林の開拓に着目したのが松浦武四郎で彼の幕府への建言で開拓の鍬がおろされました。

2.札幌本府の建設                    

明治2年新政府は[開拓使]を設置し、札幌本府の建設に着手しましたが、その計画を推進した第一人者は島義勇です。
この写真は円山公園です。
この公園の一隅に[島判官紀功碑]が静かに佇んでいます。かってこのあたりが[コタンベツの丘(円山の丘)と呼ばれていたようです。ここに島判官紀功碑]が建立されています。


碑は高さ8メートル、幅2,2メートルで上段に書かれている[島判官紀功碑]は、義勇の旧藩主である鍋島直映が書かれたものです。碑文は第12代北海道長官中村純九郎が書かれたもので、札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績が記されています。
札幌市役所のロビーに建立されている島義勇の像です。この台座には、島が札幌開発を着手するにあたつて、洋々たる前途にたいし[他日五州第一の都]と詠んだ詩が刻まれています。彼の構想に対する溢れる自信と期待が満ち満ちています。
[河水遠く流れ山隅に峠(そばた)つ 平原千里の地膏腴(ゆ)
四通八達宜しく府を開くべし 他日五州第一の都]

3.[庚午三ノ村]開村


判官島義勇は、小貫権大主典と平田少主典に命じて移民募集の任に当たり、酒田・越後で集めた移民は明治3年4月6日と7日にそれぞれ小樽港に入港し20日間に及ぶ小樽での逗留後4月下旬に小樽を出發、銭函までは海路、銭函から札幌までは陸路でした。一行118戸394人のうち[庚午一ノ村(苗穂村)120人][庚午二ノ村(丘珠村)88人][庚午三ノ村(円山村)30戸90人]が配属されました。明治3年が庚午(かのえうま)の年であることからこのような村名が付けられたものです。[庚午三ノ村]の開墾は、酒田県からの移民者によって始められましたが、翌年(明治4年)には、隣の琴似村から9戸の入植者がありました。更に同年5月には、岩手県からの移民6戸が入植し、これらの45戸が現在の円山の開祖と言うことができると思います。

4.[庚午三ノ村]から[円山村]へ


明治4年5月25日当時の判官岩村通俊は.[庚午三ノ村]を[円山村]へと改名しました。
[円山村]と命名されたのは、現在の北海道神宮の前身である札幌神社の仮宮の造営地を[円山]と決めていました。これに因んで[庚午三ノ村]が宮地の麓にあることから地名も[円山]に決まったのです。(写真は現在公園に建立されている岩村通俊像です)。
[円山村]の人口は明治3年から明治4年にかけては116-7人と一定で、明治8年には183人と着実に増加し,開村から20年の明治23年には121戸440人となりました。この開村20周年を記念して[開村記念碑]が建立されました。かっては円山小学校の校庭にあったそうですが、昭和3年8月、円山公会堂(現在の円山会館)の前庭に移設されています。現在の円山会館(北1条西23丁目)前庭には、この記念碑と並んで[善徳翁碑]が建立されています。


善徳翁]碑
善徳は、上田善七のことで上田万平の弟です。円山地区の開拓に尽力した功績を称え、当時の円山村が建立した碑で、高さ1.6メートル、幅75センチで、[圓山開村記念碑]の隣に並んで建立されています。上田善七は、特に農業面での功績が大きく、円山地区を近郊一の野菜生産地に作り上げるほか、原野の開拓にも大変尽力を尽くされた先人の一人です。兄の上田万平の碑は現在の[伏見稲荷神社]の境内に建立されています。

5.藻岩村誕生


明治39年4月には、円山村と山鼻村が合併して[藻岩村]が誕生しました。村役場は,山鼻村(現在の南14西11石山通)にあった旧戸長役場を使い、行政区域は[大字円山村]と[大字山鼻村]としました。
写真は藻岩村役場 所蔵北大付属図書館

明治43年この地(南2条西24丁目)に[藻岩村役場]がおかれました。円山地区の有志により円山養樹園(現円山公園)の管理事務所を移転したものです。昭和13年町制施行により[円山町役場]となり、更に昭和16年札幌市との合併により[円山出張所]となりましたが、昭和26年まで存続していました。[藻岩村/円山町役場跡地]碑 建立 平成4年11月吉日

明治・大正期急激な発展を続ける中で大正6年4月からも藻岩村は1級町村制が施行されることとなりました。写真は、大正初年大字円山村で、麦の収穫が終わったあとの豆畑の様子です。所蔵北大府増図書館。

藻岩村時代は、農業が盛んでその代表的なものは[円山の朝市]でした。当初は、現在の南1条西10丁目付近で生産者と仲買人との卸取引でしたが、市街地が発達のため年々場所が西へと移動し、南1条西15丁目(現中村記念病院隣)更に南1条西20丁目へと移り、その後南2条西24丁目(藻岩村役場があった場所)で大正6年10月まで続けられましたが、この地は円山村の中心地で交通の要所であった事から移転を余儀なくされ、大正7年からは[円山蔬菜組合]として現在の西25丁目通に移転し、南1条中通から北1条中通の延長200間の朝市を開設しました。その後紆余曲折がありましたが昭和7年には[円山蔬菜組合]を[藻岩蔬菜生産組合]と改め、これまでの[朝市]は、[藻岩蔬菜生産組合円山共同販売所]となりました。下の写真は、大変な賑あいを見せる円山共同販売所の一齣です。所蔵 札幌市中央図書館

6.円山町から札幌市との合併

円山町になってからも年々人口は増え、郵便局・卸売り市場なども新設される中で昭和13年4月には藻岩村も町制を施行し[円山町]と改めました。この時の大字円山本村の人口は、2.690戸、13.158人でした。昭和14年の町制を施行後の初めての町会議員選挙後札幌市との合併機運が高まりましたが機を同じくして札幌市も隣接町村との合併に積極的に取り組むことで両者の合意が成立し、昭和16年4月1日合併し今日に至っております。

 円山地区には、円山公園、北海道神宮、本郷新記念美術館を中心に多くの記念碑や彫刻があります。場所別に大別して紹介します。

円山公園内の碑と彫刻

道百年行幸啓記念碑皇太子ご成婚植樹記念碑 島判官紀功碑 円山原始林碑殉難消防員之碑逓信従業員殉職碑 
 北海道鉄道殉職碑 北海道方面委員慰霊碑 山下秀之助先生歌碑 岩村通俊像包丁塚母子像・ふるさと

北海道神宮境内の碑と彫刻

 樺太開拓記念碑 梅林碑 吟魂碑歌碑宮崎芳男歌碑谷部虎杖子句碑 白野夏雲顕彰碑
   中山周三先生歌碑
  御鎮座五十年記念玉垣門碑 皇軍全勝祈祷之碑 日露戦没記念碑  須藤隆城先生門人桜植樹碑
  北海道神宮桜の由来碑    島義勇判官

円山地区・大倉山ジャンプ競技場の碑と彫刻

 圓山開村記念碑 善徳翁碑 円山町役場跡地碑       
 大野精七博士顕彰碑虹と雪のバラード詩碑 大倉喜七郎男爵顕彰碑 (大倉山ジャンプ競技場)
 南部忠平顕彰碑(陸上競技場) つよいこよいこ(円山動物園)

旭山記念公園・伏見稲荷神社・伏見東緑地の碑と彫刻>

旭山記念公園由来碑 宮田益子句碑 寺田京子句碑 旭山公園通記念植樹碑 翔  (旭山公園)
由葉宗三郎翁之像上田一徳翁之碑 (伏見稲荷神社)石森延男文学碑吟魂碑藻岩原始林碑(藻岩山麓)

本郷 新記念札幌彫刻美術館・宮の森緑地 ・西高校前庭の彫刻

 彫刻美術館のトルソー3点わだつみの声 裸婦 堰 砂 (本郷 新彫刻美術館) 
鶏を抱く女家族蒼穹輔仁会会員戦没者記念碑    (西高校前庭)
 太陽の母子鳥を抱く女(朝)奏でる乙女Duo(流の仲野二人)  (宮の森)