[双子山町][界川][旭ケ丘]の歴史

[双子山][界川][旭ケ丘]は、[旭山記念公園]を取り囲込む様に位置しており行政的には南円山地域に属しています。
[双子山]は、昭和16年までは[円山村界川]と呼ばれていましたが後に[円山南町]と改称され、昭和25年7月から現在の[双子山]と呼ばれるようになりました。
[界川]は、明治34年(1901年)円山南山麓地帯に入植した農民の間で当時から[界川]と呼ばれていました。この地帯は大半が森林地帯であったため山火により焼け野原となり、大正時代には,現在の[双子山][界川][旭ケ丘]と言う集落が出来つつあり農業は主として野菜の栽培でしたがその他にも果樹の栽培なども行っていました。当初は現在の[双子山]と同じ集落で[円山南町]と呼んでいましたが、昭和25年7月に[双子山]と[界川]と公称される様になりました。[界川]は、焼けた原野の払い下げを受け開発を進めましたが後に札幌温泉土地会社の設立でこれらの土地は買収されました。
[旭ケ丘]は、かっての国有地で明治8-9年屯田兵が琴似・山鼻に配備された際三棟の火薬庫が設置されました。明治9年の山火で焼け野原となった為民有地として払い下げられましたが、この土地が[吉野牧場]更に[札幌温泉地]となり、現在は[旭山記念公園]となっています。
[裏参道]から西25丁目通を南に進むと、南8条で[環状通]と交差し更に少し進み南9条で[菊水旭山通]と交差します。


写真(左)の右手が[西25丁目通]で左手が[環状通]です。ここから以南は[環状通]となります。[環状通]は、札幌の市内を環状に走る都市計画道路です。左図のように[旭山記念公園]を取り囲んで[双子山]界川][旭ケ丘]があります。これらの街の大半は[藻岩山麓通]の西側に位置していますが、[旭ケ丘]の一部は[藻岩山麓通]の東側に位置しています。[双子山][界川][旭ケ丘]は、行政的には南円山地域に属しています。この三角点から少し進むと南9条から右折し[菊水旭山通]に入ります。右折後南8条西25丁目のバス停を過ぎ暫く進むと道路を挟んで右手が、双子山1丁目で、ここで[菊水旭山通]は[藻岩山麓通]と交差しこのあと[界川本通]として旭山記念公園の外周を走行します。写真下図は[菊水旭山通]です。

[菊水旭山通]に入って双子山1丁目の右手の小高い丘に[界川神社]があります。急な坂道を登り約200メートル先に鎮座していますが、界川神社を創設したのは明治36年で当時の双子山への入植者の若本外吉さん他5人が円山の山麓で小祠を祀つたのがはじめです。その後祠は大正の初期に吉野山の山頂(現在の旭山記念公園)に奉還されましたが、1954年(昭和29年)現在地に移されました。詳しくは[こちら]をclickしてご覧ください。

[藻岩山麓通]と[界川本通]

[双子山1丁目]で、道路は[藻岩山麓通]と[界川本通]に分かれます(左図)。左図の右手が[界川本通]でこの先を進むと旭山記念公園です。左手が[藻岩山麓通]で、奥に見えるのが[藻岩山]です。この十字路を境にして[界川]です。
[界川]は、1丁目から4丁目まであり、1-3丁目は住宅街として発展を続けていますが、4丁目は全域が旭山記念公園です。
[界川本通は、山麓に近づくにつれなだらかな勾配が続きます。


札幌温泉の跡地[南藻園]
界川1丁目6-14にある[南藻園]は、鉄道弘済会の障害児養護施設ですが、この場所がかっての[札幌温泉]があった場所です。


所蔵 札幌市公文書館
[札幌温泉と札幌電気軌道]  所蔵 札幌公文書館
[札幌温泉]誕生の背景は、大正11年設立された[札幌温泉土地株式会社]です。同社は、吉野牧場跡地や双子山地帯を買収して住宅地として造成をはじめ大正12年より販売を始めました。住宅地の販売を高める為の方途として[温泉浴場]の建設に乗り出し、定山渓から約6里あまりのコンクリート管を埋設し、大浴場は大正13年に完成しました。その後昭和に入り昭和3年同社は 住宅分譲の促進と温泉浴場への来客増を図るため電車の敷設を計画し、[札幌温泉電気軌道(株)(昭和5年から札幌郊外電気軌道に改称)]を設立し昭和4年から運行を開始しました。運行経路は市電円山3丁目停留所(現在の大通西23丁目)から西23丁目通南1-3-6-7-8-9条に停留所を設け終点は札幌温泉下でした。路線は単線で2両編成でしたが、昭和5年秋の変電所の焼出により運行が廃止されました。路線廃止で経営も苦しくなりましたが折りしも不況期と重なり住宅販売も思うに任せないことからこれらの事業から完全に撤退することとなりました。写真は昭和3年当時の[界川]です。赤く塗られた[札幌温泉地]は[吉野牧場]跡地で、現在の[旭山記念公園]です。
 
札幌温泉軌道の路線図 所蔵 札幌市公文書館

大通西23丁目を出て南1条西23丁目

南4条西23丁目の三角地帯付近

南5条から南7条の直線道路

南6条斜め交差点のサウナ[円山温泉]

南7条から右折して[菊水・旭山通]

西25丁目通から西に走行

[旭山記念公園]

[南藻園]と道路を挟んだ斜め向いが公園の東端です。左図は案内版です。
[旭山記念公園]は,札幌市創建百年を記念して昭和45年(1970年)造成され開園しましたが、その後平成4年から再整備工事が平成9年まで続けられ同年リニューアルオープンしました。この公園は、藻岩山・円山に隣接する面積約20haの広さです。
かってはこの一帯は[吉野牧場]でしたが昭和5年札幌温泉廃業後[拓銀]が土地を取得しましたが昭和21年札幌市に土地を寄付し毎年植林事業が行われテきました。園内の中心にある展望広場(標高137.5m)やイベント広場に加え新たに[森の家(市民活動の拠点)]や[展望デッキ]なども設置されました。その他にも遊歩道も整備されるなど入園者の視点に立った改善が随所に見られます。
公園は春は[桜]秋の[紅葉]が巣晴らしく、特に紅葉の時節には山全体が紅葉に染まる一大景観です。






[旭ケ丘]


現在の[旭ケ丘]もかっては[温泉山]と呼ばれていた時代もあったそうです。札幌市のウエブサイトには[山すそから鉱泉が湧き出、延命園と言う温泉場があったことから[温泉山]と呼んでいた。近年発展し位置的にも西の高台のため朝日の輝きが素晴らしく、太陽の恵みを受ける絶好の丘として昭和25年7月に[旭ケ丘]と言う名前が付けられた]。と書かれています。写真右は、現在の[旭ケ丘]が[火薬地跡地]であった事を示す地図です。 所蔵 札幌市公文書館
現在の[旭ケ丘]は、1丁目から6丁目までありますが、2・4丁目は[藻岩山麓通]の東側に、1・3・5・6丁目は[藻岩山麓通]の西側に位置しています。[藻岩山麓通]を走行している路線バスの[伏見高台]停留場を過ぎ[慈啓会前]の停留場からは[旭ケ丘]のエリアに入ります。[慈啓会前]の道路を山に向って進むと、左手が[慈啓会病院と老健施設]右手が[観音寺]の広い境内です。更に進むと藻岩山登山ルート[慈啓会病院前コース]の入り口です。
写真(左)[慈啓会病院と老健施設](右)が[観音寺]の広い境内です。

藻岩山の登山ルートは5ケ所ありますがここ[慈啓会病院前コースが一番便利で多くの登山者が利用しています。ここにも登山口近くに[藻岩原始林碑]
が設置されていますが、登山はドクターストップのため撮影は出来ません。

[観音寺]の横の歩道を進みます。このあたりは[旭ケ丘4丁目]で閑静な環境の中に住宅街があります。写真(右)は[札幌市立旭丘高校]です。

[旭丘高校]前の下り坂を降りて[藻岩山麓通]に出て界川方向に進みます。このあたりは旭ケ丘1丁目でこのあたりから道路は下り坂です。
1丁目にある[旭ケ丘公園]です。このあたりの[藻岩山麓通]を挟んだ向かい側も1丁目ですが、マンシヨン群が目立ちます。

[藻岩山麓通]沿いに2つの碑が目を惹きます。写真(左)は、[大東亜戦争諸霊位追善菩提碑]で、「無量寿山 常不軽寺」というお寺の入り口
に建立されています。屋根にも届こうかというほどのひときわ大きな石碑で、大東亜戦争の戦没者の霊を慰めるために建てられた「諸霊位追善菩提」
碑です。(右)は、[旭ケ丘碑]で、昭和2年9月札幌市在郷軍人會が建立したものです。旭ケ丘は、屯田兵第一大隊の弾薬庫があった場所で、この場所は、
火薬庫の[番兵所]があった場所です。

再び藻岩山麓通を戻り慈啓会病院前の坂道を下ると道路の分岐した右側の草むらに碑が建てられています。碑面に[清水]と刻まれているので
[清水碑]としました。詳しい事は解りませんが碑の銘板には明治39年5月15日に当時の北海道庁長官が訪れ[清水]と称した事が記されている
ようです。この碑が建っている地域には、かつて湧出した温泉を利用した保養地があり、[藻岩温泉(別名山鼻鉱泉)]と呼ばれていました。

この碑からは急勾配の坂道です。坂道を下りた左手に[エルムガーデン]があり、隣は中国領事館です。現在の[エルムガーデン]の前身は
、[エルム山荘]で昭和21年開業し平成15年まで営業を続けていた高級料亭で各界の著名人が往来していたことでも有名です。現在の
[エルムガーデン]は、庶民的なお店として全国的にもよく知られています。この一帯がかっての[藻岩温泉]があった場所で約4.000坪の広大な
敷地に[藻岩温泉]があったと言われています。丁度エルムガーデンと中国領事館を含めた西側一帯だったようです。

かっての温泉のあったのは南13条西23丁目ですが現在では[啓明地区]の住宅街として発展を続けています。(右)は、啓明バスターミナルで、
多方面への路線バスが運行しています。バスターミナルを出ると直ぐ近くが環状線です。


[藻岩温泉]の旅館は[風詠館]で、秋田県生まれの松浦丑次郎氏で明治25年に自分の所有地から温泉水の湧き水を発見し、明治31年から旅館を開業しました。記録の写真は著作権の関係で使えませんが昭和3年の札幌市街俯瞰図には[山鼻温泉]の名前での表示が見られます。