かつては札幌の市街は現在の創成橋の東たもとを基点として、その東側には堀(創成川)と平行して[東創成通]、これと直角に円山方面に向けて[渡島通]が設けられました。渡島通は現在の南1条通で、創成川の開通でこの一帯が商店街として繁栄する礎を作ったものです。現在南1条通は西28丁目までですが、円山町が札幌市と合併する以前は西20丁目が境界線でした。藻岩村時代村役場のあった現在の西24丁目から西20丁目までの道路を建設して札幌市街と繋がることが出来ましたが、出来た道路は真っ直ぐに繋がリませんでした。そのため札幌市電が大正12年に円山線の延伸を決定した際には南1条西17丁目から琴似街道、更に大正13年には琴似街道から円山公園まで延伸されましたが、西20丁目から北に折れ南大通から円山公園へ運行するルートでした。西20丁目から琴似街道に右折するための調整空間として設けられた三角地帯が現在西20丁目にある[円山裏参道公園]です。

裏参道の街並み


西20丁目を過ぎると[裏参道]と表示された標識があります。南1条通は円山公園内も走行しており、地元の人はこの道路を[裏参道]と呼んでいるようで、正確にはここから西28丁目までが[裏参道商店街]です。地下鉄東西線が開通し、[西18丁目駅・円山公園駅]が出来て急速に発展を続け大型デベロッパーによる高層マンシヨンンの建設とブテック・グルメなどの相次ぐオープンで町並みは一変しました。写真上右は、西23丁目から22丁目方向を俯瞰したもですが高層マンシヨンが軒を連ねています。

写真上左は、西24丁目、上右は西27丁目を俯瞰したものです。この裏参道を中心にして大通、南2-3条に様々なお店が点在しています。

写真上左は、円山公園[坂下グランド]です。かっては[円山養樹園]があった場所で多くの樹木が植栽さていました。写真上右は北海道神宮第三鳥居です。この鳥居は、大正5年5月、当時札幌駅前通にあった旅館 山形屋の大竹敬助さんが大正天皇御大典奉賀とご自身の還暦、旅館開業50年を記念して奉納したもです。花崗岩造りで高さ16尺あり、[裏参道鳥居]と呼ばれています。当時は裏参道から養樹園内の林道を通って神宮参詣していました。

裏参道寸描







西28丁目を過ぎると円山公園です。左手の[坂下グランド]と右手の公園自由広場の真ん中に道路が走っていますが地図の上では[南1条通]となっていますが、通称[円山線]又は[裏参道]と言われているようです。[表参道]に対して[裏参道]と呼ばれた歴史が古く、西20丁目から28丁目までの商店街は新しい店舗が出来てから東京の原宿に肖り[裏参道商店街]と名付けたと言われています。

この[南1条通]は、西に進んで左手に「円山原始林入り口」右手に[北海道神宮境内]更に進んで[円山動物園][円山球場」[円山総合グランド]から
[藻岩山麓通(札幌環状線)]との交差点まで続きます。
[街中の庚申塚]
[庚申塚]は、札幌市内でも東区や南区でも見られますが、円山では明治23年20数名で庚申塚が作られました。明治26年に現在の南2条西24丁目に建てられましたが街の発展のため現在の南2条西26丁目の佐藤宅の敷地内に馬頭観音碑とともに移設されています。