札幌の文化遺産(札幌景観資産No08)

旧吉田善太郎別邸(現八紘学園栗林記念館)

地下鉄東豊線[福住]駅をおりると国道36号線を挟んで北側に広がるのが[八紘学園]の敷地です。この敷地の中にある洋館が[栗林記念館]です。この洋館は1907年(明治40年)に月寒地区の開発功労者である、吉田善太郎氏の別宅として建てられたものですが、1933年(昭和8年)、八紘学園の創始者である栗林元二郎氏が購入して現在地に保存されているものです。。この建物は同氏の自邸となった後、現在は栗林記念館として改修され、同氏蒐集の馬の彫塑品・美術品・民芸などを展示しています。(内部の見学は出来ません)


記念館の玄関前に[都市景観重要建築物08号][さっぽろ・ふるさと文化百選]の表示盤が設置されています。現在の札幌景観資産08号に指定され且、[さっぽろ・ふるさと文化百選]にも選定されています。

記念館の前庭です。ここには馬の彫刻と学園の創業者栗林元ニ郎氏の胸像が建立されています。


伊藤国男さん制作の馬の彫刻です。
栗林元ニ郎先生は、明治29年(1896年)秋田県湯沢市に生まれ、大正8年秋田開拓団を率いて十勝に入植、大正15年大病を患い九死に一生を得る。再度の人生を国内外農業開拓従事の若き拓人養成をもつて報国するとの決意で昭和5年学校を創設、その名称を詔勅八紘一宇の理念から八紘学園とす。同8年等地に百十余haの地積を得、校舎寄宿舎及び諸施設を開設、自耕自拓の精神涵養と実地体験主体に基ずく率先垂範教育の徹底を図り、国内外の開拓第一線に多くの卒業生を送る。戦前戦後といく度かの苦難曲折を経るも、昭和48年永年の教育に尽くした功績と新たな育英事業への貢献が認められ勳三等に叙せられる。晩年は日本に誇れる石庭・オンコ巨木樹園造成実現に情熱を傾けていたが、昭和52年(1978年)82歳でその生涯をこの地で終える。先生創設の学校法人八紘学園は創立八十周年の歴史を数えることとなり、我ら同窓有志は、その教え薫陶への想いを新たにし、今後の学園のさらなる有意健全な発展を願い、先生の胸像をここに建立し永く偉業をたたえるものなり。
平成23年7月20日  八紘学園同窓会有志一同
(註)台座に刻まれている碑文です。

記念館を様々な角度から見た写真です。
記念館の庭園です。