島義勇之像
札幌市役所のロビーに建立されています。島義勇は、明治2年開拓使設置時に判官を命ぜられ、北海道の開発を図るためには、札幌に中心を移すべきとの大きな構想を抱き、この年の10月には札幌の街造りに着手しました。札幌を京都の様に整然とした区画割を行う事としました。しかし事業開始後多大な出費を巡って上層部と対立し翌年東京に戻され、札幌建設は一時頓挫しました。しかし島の大きな構想がその後引き継がれ今日の大都市札幌の基礎となっています。