上手稲開村記念碑
この碑も手稲記念館の前庭にあります。明治4年旧仙台藩士片倉子七郎邦憲(白石城主)が北海道開発を命ぜられ、家中150戸600人余で開発の途につきました。その中の50戸241人が翌明治5年に入植したのが上手稲で、この地が手稲発祥の地と言われています。この碑は、明治44年に当時西町北20丁目にあった上手稲神社の境内に建立されましたが、昭和42年に手稲記念館が完成したのでこの場所に移転したものです。