荒井金助之墓
この墓は、JR学園都市線[篠路]にある[龍雲寺]の境内に建立されています。荒井金助は、[石狩調役]として万延元年(1860)に自費で農民十余戸を募って篠路に入植させ[荒井村]を開村し、凶作に備えた備蓄や倉庫の建築、教育などに取り組みました。荒井はその後文久3年(1863)石狩から函館に移動を命ぜられ、文久6年11月五稜郭の堀に転落して死去しました。荒井は篠路開拓の祖と呼ばれています。