早山清太郎の墓も荒井金助と同じ[龍雲寺]の境内にあります。早山は、現在の福島県白川群西郷村に生まれ、1852年蝦夷地にわたり最初は現在の手稲星置で伐木下請けの仕事をしていましたが、幕史の奨めもあって農夫に転向し1860年篠路に入植しました。入植後[荒井村]は、箱館戦争の勃発などで全村挙げて戦争に参加したため村は廃村となりましたが、早山は毅然として開拓の鍬を振り続けてこの地で生涯を終えました。早山は、篠路村の開拓の基礎を築いた先人として崇められています。