このボードは、新琴似5条6丁目の個人住宅の玄関前に掲示されています。かっての[もやい井戸]は現存しておりません。
(註)北区歴史と文化の八十八選案内ボードより引用)
明治20年(1887年)新琴似に九州出身を中心とする屯田兵146戸が入植、その生活を支えた井戸は4戸の共同使用で風呂が併設されていた。[もやい]とは、[共同]の意味で、この井戸は水脈までモウソウ竹が打ちこんだもので水が30aほど自噴していた。竹の長さは約30b、継ぎ目にはコンブが巻かれていたと言われている。