この碑も[山本稲荷神社]の境内に建立されています。碑板には次の様な[山本用水の歩み]が刻まれています。[大正8年部落民全部の水田と飲水のため厚別川から取水して利用したのが始めである。昭和19年当時の地主山本厚三氏名義の用水路を戦後の農地解放を待たず低廉な価格で小作人57名に名義変更して、一早く小作人の自立の道を開いた。昭和20年より山本用水組合を設立し管理運営につとめ現在に至る。これら先人の努力によって水害や冷害など幾多の困難を乗り越え土地改良との闘いを続けてきた山本地区は美田に生まれ変ったのである。 平成14年 9月吉日 山本用水組合]。