この表示板は、豊平河畔にある[豊平川河岸公園]内に設置されています。有島武郎は、札幌農学校を卒業ごアメリカに留学しましたが、その後札幌に戻り農学校の講師に就きました。札幌時代の明治43年3月に神尾安子さんと結婚し、上白石村2番地(現在の白石区菊水1条1丁目)に住んでいました。豊平川の河畔で大きな林檎園の中に立てられた住まいで、かつては、武者小路実篤、画家木田金次郎が来訪した記録も残されています。有島作品の[生まれ出づる悩み]は、木田をモデルにして彼が来訪した時の事を書いたものです。現在当時の住まいは[開拓の村]に保存されています。