この碑は、手稲区の新発寒5条1丁目[追分通]側にある[北発寒稲積会館]の敷地内に建立されています。稲積地区は、小樽の稲積豊次郎か始めた農場が始まりと
いわれていますが、碑の裏面には次のような碑文が書かれています。[大正3年先人北渚(ほくりょう)より来りてこのちを故園と定む。茫々たる原野泥炭地に
地味瘠薄(せきはく)なり、昭和9年乳牛を誘い金戸酪農を営む幾多の風雪に耐えながらこの地を豊饒の地となす。ここに先達の辛楚(しんそ)を偲びこの碑を建
立する
昭和9年自作農 昭和19年第二開拓入植]。以下お名前が列挙されています。