月寒神社[豊平区月寒西3条4丁目]

月寒神社
かっては軍隊の街として知られた[月寒]は、現在札幌市の豊平区として大きく発展を続けています。[月寒]は、アイヌ語で[チ・キサ・ブ又はチ・ケシ・サブ]で[丘のはずれの下り坂]の意味だそうです。現在の月寒はかつて[月寒村]で農業を中心として開拓が進められましたが、明治29年に陸軍の第七師団の兵営が設置されてからは軍都として知られる様なりました。近年は地下鉄[東豊線]が開通し町並みも一変していますが、この神社も地下鉄月寒中央駅から徒歩15分位の場所にあり、月寒公園が隣接する閑静な佇まいの中にあります。
本殿この神社は明治17年に広島県からの移住者が厳島神社の御分霊と稲荷神の2柱を現在の福住に祀つたのが始まりです。その後明治33年には[西山神社]と命名されましたが、明治36年に現在の[月寒神社]に改称されました。現在の社殿等は昭和46年に竣工したものです。ご祭神としては、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)が祀られています。
月寒公園
この公園は、明治の末期には歩兵第25連隊の小演習場として使用され[干城台]と呼ばれていた場所です。現在は公園として自然林を含む広大な敷地に各スポーツ施設が整備され市民の総合公園として活用されています。池を取り巻くしだれ柳の風情が美しく札幌市でも中央区の中島公園に匹敵するボート池があります。

公園の池に佇んでいる彫刻[壺を持つ女]で、製作されたのは木内禮智です。1976.5.14日建立。
吉田善太郎顕彰碑この碑は月寒開拓に大きな功績を遺した吉田善太郎の顕彰碑で神社に隣接する月寒公園に建立されています。翁は水田開発に大きな役割を果たした[吉田用水]生みの親として高く評価され、この碑は大正2年に建立されたという説と、翁の存命中の明治43年に建てられと言う2説があるようです。