福移神社[東区中沼町238番地]


福移神社は、東区の中沼町にありますが、現在の中沼町はかつての篠路村[中野・沼ノ端・中福移]の三つの集落からなっています。この地名の由来は[中野]の[中]と[沼ノ端]の[沼]をとってつけられたといわれています。閑静な田園の中に静かに鎮座する社です。


この神社は、昭和41年に中沼神社とともに篠路神社の飛地境内神社として認証され、天照大神を祀っていますが、それ以前の記録が見つからず創設の経緯などを知ることができませんが、最初の入植者が郷里の福岡太宰府天満宮を奉じて遥拝所を発足したのが始まりのようです。社殿の扉は閉じられたままで中の様子を見ることもできませんが、非常にシンプルな社殿で、赤いトタン屋根の色が一際青空に照り映えているのが印象的です。


札幌市内に12現存するといわれている地神碑の一つです。境内というよりは社殿敷地内に三つの碑が建立されていますが、社殿の一番近くに建てられているのがこの碑です。風雪に曝され文字も不鮮明ですが、台座には明治34年建立と記され、正面に天照皇大神、五柱の周りには、少彦名命・稲倉魂命・埴安媛命・大己貴命の名前が刻まれています。


この碑は[福移開拓五十年碑]で、昭和6年9月に建立されたもので、碑文は第20代の北海道長官池田秀雄さんが揮毫されました。現在の福移は、かって篠路村当別太と呼ばれていました。この地に初めて入植者が鍬を下したのは明治15年で旧福岡藩黒田家士族40戸が渡道しました。入植者の開拓の努力により明治31年には戸数も140戸、人口600人を数えました。旧篠路村当別太は昭和12年に篠路村福移となり、この地帯は[中福移]と呼ばれていましたが昭和47年札幌市の政令都市移行に伴い[中福移]地区は、札幌市の[北区]と[東区]に分かれ、東区中沼町となって現在に至っています。


この碑は、昭和56年9月に開拓百年を記念して建立されました。碑文は北海道知事堂垣内尚弘さんが揮毫されたものです。碑の裏面には[北辺に新天地を求メ旧福岡藩黒田家士族明治15年集団移住、開拓以来茲ニ風雪百年福移発展の基礎ヲ築ク、碑ヲ建立シコレヲ後世ニ伝タウ]と記されています。

神社の境内から見る福移小中学校です。ここは札幌市内では珍しい小・中学併設校で、校舎の屋上には立派な天文台が設置されています。この面での学習が大変盛んな学校のようです。
[福移]という地名は実はこの学校名からつけられたといわれています。入植2年後の明治17年に福岡藩の高崎国丸氏を教師として寺小屋教育が始められ明治25年には篠路教育所の分教所が建てられ、福岡の福と移住の移をとって[福移分教所]と命名されたものです。


道路入口に建立されている鳥居

道路側から神社境内を俯瞰

前方突きあたりが[福移池端線]

左手の紅白の煙突が篠路清掃工場

札幌からあいの里に通ずる幹線道路

馬頭観音像(左)、牛頭観音像(右)
[後記]
札幌地下鉄東豊線[環状通東]から中央バス乗車、目指すは[福移小学校通]であるが、途中東苗穂の住宅街を縦断してモエレ沼の外周を走り、豊畑、中沼、を過ぎるとリサイクル団地などの各施設が点在している。福移小学校通の停留所傍には上図のような観音像が建てられている、かなり歴史的には古いものなのだろう。この馬頭観音像は、三つの頭と8本の腕を持った特異な観音像です。