北大正門前と[新撰組 永倉新八来訪の地]碑
この正門は1936年(昭和11年)の行幸、陸軍大演習大本営の設置を機に建築されたもので、垂直性の強い幾何学的装飾を施した意匠となっています。高さ4.5㍍の親柱と3.5㍍の側柱は花崗岩張りです。
正門のすぐそばに[新撰組 永倉新八来訪の地]碑が建てられています。永倉新八のレリーフここには大凡次の様に書かれています[新撰組の永倉新八は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して剣道の指南に努めた。晩年には北大剣道場でも指南している。新八ゆかりの道場は、現北大本部(写真のビル)の北西にあった。新八は大正4年小樽市で77才の生涯を終えた]。上図は、歩道に埋め込まれたレリーフです。
正門を入ると直ぐ右手にあるのが事務局本館で本館前に[新渡戸稲造博士夫人寄贈のエルムの木][佐藤昌介像]と[北大予科記念碑]の石像が建立されています。
事務局本館(旧北海道帝国大学予科教室)
この建物はかっての予科・実科の教室でした。構内でも数少ない戦前のコンクリート建築で、昭和22年法文学部が設置されて以来 法経学部と文学部の分離、法学部と経済学部の分離などの歴史とともに歩んできた古き時代学窓を巣立ったOBにとっては懐かしい建物だとおもいます。



新渡戸稲造博士夫人寄贈のエルムの木
新渡戸稲造博士の夫人万里子さんが札幌農学校新校舎路傍樹として24本のエルムを寄贈されましたが、そのうちの5本が正門 入り口の路傍に保存されています。
左の写真は新渡戸稲造夫妻 所蔵 北大付属図書館
[佐藤昌介像]と[北大予科記念碑]
左が[佐藤昌介像]右が[北大予科記念碑]です。
佐藤昌介は、安政3年岩手県で生まれ明治9年開校した札幌農学校の1期生です。明治16年には農学校の教授、同24年には校長に就任しました。その後、明治40年に農学校が東北帝国大学農科大学に昇格したおりには学長に就任、大正7年には北海道帝国大学の発足に伴い総長に就任されています。この像は、12年間大学の運営に尽くされた氏の功績を称えて建立されたものです。
一方北大予科記念碑には[大志を抱いて]と刻まれています。予科は、1907年(明治40年)札幌農学校が東北帝国大学農科大学に昇格した時にその予科として発足したものです。予科生は3年の在学後、本科の各学科に進むことが出来ました。この予科制度は、北海道大学になつても継続していました。この碑は、札幌農学校から引き継がれた予科の伝統と足跡を記念して建立されましたが、碑はアポイ岳の[かんらん岩]で出来ています。
北海道大学学術交流会館
この建物は、正面から入って左側2棟目です。北大が国内外との学術交流の場として1985年(昭和60年)3月に建設されました。
守衛所(旧札幌農学校門衛所)と南門(旧札幌農学校正門)
この建物は1904年(明治37年)札幌農学校が現在地に移転した年に建設されたものです。白い守衛所と赤い門柱が一体となって古き札幌農学校時代の雰囲気を醸しだしています。右下の写真で正面遠くに見えるのが現在の北海道庁赤レンガ庁舎の八角塔です。

南門から道路が分岐して真直ぐ進むと[中央ローン]からキャンパスを南北に縦断する[中央道路]へ、右折すると事務局本館の裏手に[百年記念会館]があり、此処を進むと道路の右サイドには[地球環境科学研究科[情報基礎センター]が、道路の左サイドには[経済学部][法学部][文学部][教育学部]の学棟があります。
[百年記念会館]
この建物は昭和51年(1976年)北大創基百周年の記念事業として昭和53年に建てられました。ロビーには百年史を解説する写真や資料が数多く展示されています。会館南側の池は現在人工池ですがかっては豊富な湧水があり、この辺りに放牧されていた牛達の水のみ場でもありました。

中央ローン
正門から少し西に進んだなだらかな起伏に富んだ緑地が中央ローンです。芝生の広さが約1万2千平方メートルあり、中央を流れているのがサクシュコトニ川でここから百年記念会館の傍を流れて大野池に注がれています。因みに[サクシュコトニ川]の名前の由来は、アイヌ人が次のような意味合いで表現した言葉に由来すると言われている。[サクシュ]は浜の方を通るで、浜はこの場合[豊平川岸]の事[コトニ]はくぼ地で、意訳すれば[くぼ地を流れる川のうち豊平川に最も近い川]となる。岩沢健蔵著 北大歴史散歩より引用。

中央ローンと中央道路の中間地点右手に[付属図書館]その先西端に[古河記念講堂]があり、中央ローンの西端に[クラーク像]が建立されています。
[中央図書館]と[古河記念講堂]

左図が[中央図書館]で右図が[古河記念講堂]です。[古河記念講堂]は1909年建設当時は[林学科教室]と呼ばれていましたが、現在では[古河講堂]と呼ばれています。札幌農学校はその後 東北帝国大学農科大学となりましたが独立大学設立には財源がなくこのため当時公害問題で社会の大きな非難を浴びていた古河鉱業が大学創設費を献金する事となり現在の古河講堂始め校舎が建設され帝国大学としての北大が誕生しました。
白雪の中の情景も大変趣があります。
岩沢健蔵著[北大歴史散歩]の中に古河講堂の特色についての紹介が在りますので抜粋して引用します[現存する旧林学科教室本館部分の建築面積は約420㎡、外観を特徴づけている左右の翼屋の二段勾配は、創案者であるフランス17世紀の建築家の名に因んでマンサード風とも或いは腰折れ屋根とも呼ばれる。玄関ポーチや屋上中央の小塔など全体として統一のとれた様式美を専門家はフランス・ルネツサンス様式と呼ぶ、設計者は山平四郎で、北海道にこの様式の建築が行われたのはこれが最初と云われている]。


[クラーク博士像]
北大キャンパスの中央ローンを背景に建立されてい

るお馴染みのクラーク像です。クラークは、明治9年7月アメリカマサチューセッツ農科大学の学長のまま、札幌農学校の教頭を勤めました。この像は大正15年の北大創立50年を記念して制作されたものです。昭和18年戦争のため金属供出によりブロンズはなくなりましたが、昭和23年に本道の彫刻家、加藤顕清の作で再建を果たしました。クラークは、札幌滞在9ヶ月で帰国しましたが、[少年よ 大志を抱け]の名言は今尚語り続けられています。