明治4年当時の開拓民
明治4年当時の平岸街道
明治11年当時の平岸
(註)上記の写真は、展示パネルより転写しまし た。 |
西 暦 |
出 来 事 |
1871年 |
岩手県人が月寒・平岸に入植 |
1872年 |
月寒村・平岸村開村 |
1874年 |
豊平村開村 |
1875年 |
初代の豊平橋完成 |
1900年 |
豊平で大火災発生 |
1902年 |
豊平・月寒・平岸3村合併して豊平村誕生 |
1908年 |
町制施行で豊平町と改称 |
1918年 |
定山渓鉄道開通 |
1927年 |
初代幌平橋完成 |
1961年 |
豊平町が札幌市と合併 |
1969年 |
定山渓鉄道廃止 |
1972年 |
札幌オリンピック冬季大会開催。政令都市に移行 |
1994年 |
地下鉄東豊線福住延伸 |
2001年 |
札幌ドーム完成 |
平岸開拓小史
平岸は、札幌の中心から東南に位置するアイヌ語で[ピラ・ケシ](崖のはずれ)と呼ばれた旧豊平川の扇状地である。先住民族の生活のあったことはその遺跡から知る事が出来るが、農耕をもつ日本人の定着は明治4年5月、岩手県水沢、旧留守藩士と近郡農民62戸202人の入植によつて始まる。木の皮で覆った共同小屋に、むしろをしいた移民が、有珠道路に結ぶ道を苅わけ、密林におの、まさかりを入れたのが村の夜明けである。明治6年飲料のための用水堀を精進川から50丁にわたって開削しこれを生命の水とする。堀にはやがて並木が育ち東西の路に小橋を架けて村の象徴の美観となった。
(平岸郷土史料館作成の案内より引用) |
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