かっては[札幌停車場通]と呼ばれていたストリートは、時代の流れとともに大きく発展を続け、現在の[札幌駅前通]は、大型ビルが林立し、地上と地下が連結する札幌を代表するメインストリートとして大きく変貌を遂げつつあります。


札幌停車場の開設

現在の[札幌駅前通]は、札幌中心部のメイン通ですが、かつては[札幌停車場通]と呼ばれその昔開拓使時代には[空知通]と呼ばれていました。この[空知通]が[札幌停車場通]と呼ばれるようになったのは、明治13年に手宮ー札幌間に開通した[幌内鉄道]の終点として[札幌停車場]が開設された頃からです。[札幌停車場]は、当初は仮の停車場でしたが翌明治14年12月には駅舎が完成しました。
幌内鉄道の運行

明治13年11月28日開通した官営幌内鉄道(所蔵 北大付属図書館)
当時の使用客車

開業時使用されていた客車(所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道写真編]より転載
明治15年の札幌停車場構内

明治15年の札幌停車場構内(所蔵 北大付属図書館)
明治40年代の札幌停車場

明治40年代の札幌停車場(所蔵 北大付属図書館)

馬車鉄道の路線延伸

一方、明治43年には[札幌石材馬車鉄道]が現在の石山通から北5条を経由して札幌駅まで延伸し、札幌停車場通に軌道が敷設されました。大正初年、札幌停車場通を運行する馬車鉄道です。当初は、単線で運行していましたが、その後複線になりました。右手奥に見えるのが[旧拓銀本店]です。
大正初年停車場通を走る馬鉄

大正初年停車場通を走る馬鉄(所蔵 北大付属図書館)
大正初年停車場通を走る馬鉄

大正初年停車場通を走る馬鉄(所蔵 北大付属図書館)

市電の開通

大正7年夏に札幌・小樽で[北海道開道50周年記念博覧会]が開催されましたが、大正5年10月には、[札幌電気軌道株式会社]が電車による経営に乗り出す事を決定して、大正7年4月に工事に着手しました。博覧会開催に間に合わせるべく工事が進められましたが、開幕日には間に合わず、8月12日に運行を始めました。当初の路線は[南1条西14丁目-東2丁目][北4条西4丁目-中島公園][南4条西3丁目-東3丁目]でした。下の写真は、札幌市交通資料館に展示されている創業当時の市電車両(苗穂駅前ー丸井前)と博覧会歓迎の札幌駅前アーチです。


市電車両(当時の路線苗穂駅前ー丸井前)の表示
交通資料館展示車両


大正7年 北海道博覧会札幌停車場前歓迎門 
所蔵 札幌市公文書館

札幌停車場通から札幌駅前通へ

大正11年札幌もこれまでの[区制]から[市]に変り、停車場通も年々発展を続けいつしか[札幌停車場通]は、[札幌駅前通]と呼ばれるようになりました。

街並みの変遷



昭和5年の札幌駅前通
所蔵 札幌市交通局


昭和11年の札幌駅前通
所蔵 札幌市交通局 
昭和22年の札幌駅前通


昭和22年の札幌駅前通 所蔵 北大付属図書館 


昭和25年の札幌駅前通
所蔵 札幌市 交通局

記憶に残る駅前通の建造物 

北海道鉄道管理局(左図 所蔵 札幌市公文書館)、山形屋本館(右図 所蔵 札幌市中央図書館)


変貌著しい札幌駅前通

時代は流れて昭和から平成時代を迎えます。昭和47年に開催された冬季オリンピック札幌大会は、街の形を大きく変えました。[駅前通]のシンボル[札幌駅]も昭和27年には[民衆駅]として建て替えられ、地下には、[年中無休]がキャッチフレーズの[札幌ステーションデパート]が誕生しました。更に平成時代に入ると札幌駅周辺の再開発事業が進められ平成15年には現在の札幌駅がリニューアルされました。
札幌駅南口広場

札幌駅南口広場
広場から大通方面を俯瞰

南口広場から大通方面を俯瞰
2009年竣工した日本生命ビル

2009年竣工した日本生命ビル


地上と地下との連絡通路を随所に設置
2011.3月に開通した地下歩道空間

2011.3月に開通した地下歩道空間
2011.3月に開通した地下歩道空間

2011.3月に開通した地下歩道空間