明治39年現在の札幌駅前に北海道初のデパート[五番館]が誕生、多くの人々に愛され続けた五番館も時代の流れに抗しきれす[札幌西武]と変り、その札幌西武も2009年(平成21年)閉店しました。オールドフアンに懐かしい五番館103年の軌跡です。

札幌興農園の創業

五番館の創業者は、小川二郎です。小川は、明治27年(1894年)札幌興農園(南2西1)を開業し農産種子、農具などを販売していましたが、その後[札幌興農園]を独立させて1899年(明治32年)札幌駅前(北4条西3丁目)に移り和菓子、食料品、雑貨を扱い明治39年(1906年)には北4条西3丁目にレンガ造りの店舗を作りこれを[五番館興農園]と名付けました。写真下左図は小川二郎(所蔵 北大付属図書館)、下右図は[五番館興農園](所蔵 北大付属図書館[札幌写真帖])です。

小川二郎

しかし当時札幌は景気も悪く商売はふるわない為、1909年(明治42年)氏は興農園の経営に専念することとしてその他の事業を小田良治氏に譲りました。小田氏は店名を[五番館]とし、1912年(大正元年)から百貨店形式の店舗を開店しました。
左図は創業当時の五番館です。
所蔵 札幌市公文書館

札幌停車場札幌停車場通五番館の創業当時、札幌駅前は、1908年(明治41年)建てられた新しい駅舎(左図)で乗降客の数も多く大変賑あっていました。所蔵 北大付属図書館
五番館がオープンした時と同じ年に馬車鉄道(右図)の路線が札幌駅まで延伸し、馬車鉄道を利用する客で、五番館は大変良い環境にありました。所蔵 札幌市公文書館

株式会社五番館発足
2009.9.16-30日まで開催の[五番館/札幌西武思い出エッセイ展]の展示パネルから転載。

五番館昭和3年には[株式会社五番館]が設立され本格的なデパートとしてスタートしました。写真は昭和5年当時のもので、軍人の姿が見える戦時体制下のデパートの趣きです。

五番館バス乗り場

中央バスの停留所
洋品小物販売コーナー

洋品・小物売り場
屋外の青果売り場

店舗前の青果物売り場
店舗前の園芸部売店

店舗前の園芸部売店

戦後の五番館

戦後の札幌は、[丸井今井][三越札幌支店][五番館]が代表的なデパートでした。戦後の経済復興が進み各デパートを始め大型店も店舗の拡大を競う中で五番館も昭和34年には地上6階地下3階の新店舗を完成、更に昭和47年には地上8階の店舗に増築しています。この間、札幌駅前通も大型ビルが立ち並び札幌を代表するメインストリートとなり、五番館も当時の国鉄・市電・バスなどのアクセスにも恵まれまれましたが、五番館独自の営業戦略が採られていました。[五番館は他の大都市圏の百貨店とは対照的に周辺の郵便サービスの拡大によって成長を遂げたデパートであり通信販売によって成長を遂げたが、通信販売は1910年から始めたもので現在の通信販売の先駆者と言えよう]。(註 このコメントは、ルイズ・ヤング氏新札幌市史の機関紙である[札幌の歴史35号]から引用)。
昭和22年の駅前通
昭和22年当時の札幌駅前通です。
所蔵 北大付属図書館

五番館西武から札幌西武へ

札幌西武永い間[五番館]の名前で親しまれてきましたが平成2年[五番館西武]と変わり札幌市民も一抹の寂しさを持っていましたが、平成9年には西武百貨店と合併して社名が[札幌西武]に変り永年親しんできた[五番館]の名前が完全に消えてしまいました。
長い歴史を誇ってきた五番館も、西武グループの傘下に入り、札幌西武百貨店として営業を展開することとなりました。発展を続ける札幌流通業界は[大通エリア]と[札幌駅前エリア]に二分され激烈な競争が展開されています。かっては、札幌駅前を代表してきた五番館も、新たに参入した[東急デパート][大丸デパート]と共にその一翼を担いつつ、[札幌西武百貨店]として赤レンガのデパートのイメージを遺して新たな歩みを続ける事となったのです。

[札幌西武]閉鎖

2009年10月30日、札幌西武は閉鎖され、興農園時代から100年余札幌の最老舗のデパートとして親しまれてきた五番館も札幌西武の時代をもって完全に姿を消す事となりました。
札幌西武閉店 札幌西武閉店

中央区北3条西3丁目(札幌駅前)が五番館発祥の地で、昭和3年には株式会社五番館を設立し、本格的なデパートとして営業を展開してきましたが、昭和57年に西武百貨店と業務提携を行い、昭和63年には、社名を[西武北海道]に変更、平成2年には店名を[五番館西武]に改称、更に平成9年には[札幌西武]と改称して、五番館の名前は姿を消すこととなりました。この[札幌西武]も平成21年10月30日閉店となり、興農園から始まった五番館103年の歴史に終止符を打つこととなりました。