上島 正

プロフイール

上島 正(かみしまただし)は、信州の諏訪郡湘南村に生まれました。1877年(明治10年)3月彼が36才の時に単身北海道に渡り、月寒などで試作田などを作り農業に励んでいましたが、1878年(明治11年)現在の北12条東1丁目付近の土地1万坪の貸し付けを受け、ここに東京から持参した[はなしようぶ]を植え付け、改良に改良を加えて1884年(明治17年)見事な花畑(菖蒲園)を造成するに至りました。上島 正は、札幌における花造りの元祖でもあると同時に近隣村落の開拓者の入植にも大きな力を発揮して札幌開発の先駆者の一人として高い評価を受けています。

上島 正と東皐園

[菖蒲園]
当時このあたりは[字東耕]と呼ばれていたことからこの花畑を[東耕園]と名付けましたが後に[東皐園]と改名されています。上島 正の精魂込めた努力により完成した[東皐園]は、当時の札幌市民の憩いの場として大きな役割を果たしました。[東皐園]は、毎年7月中旬には約二ヘクタールの敷地に、ボタン、シャクナゲ、菖蒲など数百種の花々が咲き誇りました。花を愛でるばかりでなく、現代風に言えばイベント会場としても利用され、句会、碁会、謡曲などが盛んに行われていたようです。
写真は、[北海道毎日新聞第3648号付録]より転載 所蔵 札幌市公文書館

当時、開拓使の構想によると、札幌の東西南北に大規模な公園を作る事として、西には[円山公園]南には[中島公園]北には[偕楽園]そして東には[東皐園]が計画されていました。円山・中島公園は現存していますが、偕楽園、東皐園は、現存していません。東皐園は、昭和に入ってからは年々宅地化され昭和20年ごろにはその姿を見ることが出来なくなりました。
石狩街道
写真は北12条付近の創成川を挟んだ幹線道路です。 上島 正が[東耕園]を造成した当時は、雑木や枯れた大木の原始林で鬱蒼としていました。現在は住宅が密集するエリアに変わりましたが、僅かに当時の面影を遺しているのが街道沿いに佇む[諏訪神社]です。

上島 正と諏訪神社

諏訪神社諏訪神社拝殿
札幌諏訪神社は、札幌と石狩を結ぶ通称[石狩街道]の北12条にあります。現在は創成川が間近に流れていますが、この川もかつては[大友堀]として石狩から札幌へ物資を運ぶ重要な役割を果たしていました。大友堀を運行する人々の安全を見つめながら歴史の歩みを続けてきた社です。
この神社は、1878年(明治11年)信濃から上島 正他30余名がこの地に入植し1882年(明治15年)信濃國一の宮諏訪大社のご分霊を奉祭したのが始まりです。諏訪大社は、出雲大社の神様で古来より開拓殖産の神として崇拝されてきました。札幌諏訪神社も創建以来この地域の守護神として開発殖産の神として崇められてきました。