鈴木豊三郎

プロフイール

北海道の開拓を進めるにあたつて、道路、築港、鉄道の建設は極めて重要なテーマーであり、これらの工事に必要な資材として[れんが]が注目を浴びていました。北海道における[れんが]製造の歴史は開拓使時代からですが、本格的な製造が始められたのは鈴木左兵衛・豊三郎親子だと言われています。父左兵衛の跡を継いだ長男鈴木豊三郎(すずきとよさぶろう)は、1869年(明治2年)東京府南足立郡に生まれ、明治15年には父と共に北海道に渡りました。その後父の設立した鈴木煉瓦工場で父親の片腕となって働き、父の死後事業を更に拡大して明治42年には全道産額の10%のシェアを持つに至りましたが、大正9年9月病に倒れ51才の若さで急死しました。まさに煉瓦と共に生きた生涯でした。所蔵 北大付属図書館

鈴木煉瓦工場の創設

明治10年代に入ると開拓も本格的に進み、明治13年には、手宮-札幌間に鉄道が開通したのを契機に関連する工事の為大量の煉瓦が必要となりました。このため明治15年には月寒に本格的な製造工場として大久保工業が誕生しましたが、鈴木左兵永衛は明治17年白石村北郷に鈴木煉瓦工場を創業しました。工場の創設によって白石への移住者は増大し、燃料の薪を採るため原野の開墾にも大きな役割を果たしました。鈴木の煉瓦は、品質的にも優れていると各界から大きな反響を呼んで事業も順調に推移してきました。所蔵 北大付属図書館

手宮-札幌間鉄道開通

手宮-札幌間鉄道開通
明治13年11月28日開通した官営幌内鉄道(所蔵 北大付属図書館)

旧北海道庁・札幌ビール会社


所蔵 北大付属図書館

明治21年竣工した赤レンガ庁舎[旧北海道庁]は、本格的な煉瓦建築で、その品質の強さは、明治42年の失火の際にも外壁の損傷は少ない事からも証明されています。赤煉瓦の建物が売り物の札幌ビール工場もその煉瓦は鈴木煉瓦工場から納められたものでした。