阿部宇之八

プロフイール

現代の情報化時代の中で活字メディアとしての新聞の果たす役割は極めて高いものがあります。北海道地区における新聞媒体の中で、北海道新聞はリーデイングメデイアとしての地位を維持していますが北海道新聞生みの親は、阿部宇之八(あべうのはち)です。阿部宇之八は、1861年(文久元年)2月28日、阿波の国板野郡木津村(現在の徳島県鳴門市)で生まれました。徳島中学、三菱商業学校、更には慶応義塾に学び卒業後の1882年(明治15年)大阪新報に入社その後大阪毎朝新聞、郵便報知新聞に勤務した後、1886年(明治19年)北海道に渡りました。その後の経歴は北海道新聞の前身となる北海道毎日の経営を始め、札幌区の第四代区長も務められ、札幌市制発展に大きな功績を遺されました。宇之八は、1924年(大正13年)11月14日、64才で他界しました。 所蔵 北大付属図書館

宇之八と新聞事業

阿部宇之八の札幌での最初の新聞事業は、1887年(明治20年)の9月、北海道庁から印刷機の貸し下げを受けて始めた、北海新聞でした。宇之八は、新聞名を、北海道毎日新聞と改め、これまでの週2回の発行を日刊新聞とする等新聞の普及に大きな努力を払いました。この後、1901年(明治34年)9月には、北門新報、北海時事と合併して新たに、北海タイムスを創刊しました。

現在の北海道新聞は、1942年(昭和17年)11月1日、これまでの、北海タイムス、小樽新聞、新函館、旭川新聞、旭川タイムス、室蘭日報、十勝毎日新聞、北見新聞、網走新報、釧路新聞、根室新聞、の11紙が統合して新たに創刊したものです。新しい北海道新聞社長には宇之八の三男謙夫が、又前身の北海タイムス社長には長男良夫がそれぞれ務めるなど、宇之八の新聞にかける情熱は脈々として引き継がれてきたのです。写真は、旧北海道新聞本社社屋です。 (所蔵 札幌市 公文書館)

現在の北海道新聞本社社屋です。

札幌区長 阿部宇之八

阿部宇之八は、新聞人としてばかりでなく、札幌の行政にも多くの功績を遺しています。彼は1913年8月から1919年8月まで四代目の区長を務められ、この間、北海道大学の拡充、大通公園の整備などにも大きな努力を払われる等今日の札幌の発展を築いた先人の一人でもあります。
(札幌区役所 札幌写真帳より転載  所蔵 札幌市公文書館) 

当時札幌区会では[財政的な見地から大通公園の一部を売却すべし]という意見が高まりましたが、区長である宇之八は断固としてこれらの意見を退けた結果が現在の大通公園です。先見性に溢れた大きな業績として高く評価されています。
(温古写真帳より転載 所蔵 札幌市公文書館)