中村信以

プロフイール

本の[冨貴堂]といえば、札幌の老舗中の老舗としてオールドフアンにはたまらない郷愁を感じさせてくれます。冨貴堂書店は、1898年(明治31年)3月開店し長い歴史を誇って来ましたが、この創業者が中村信以(なかむらのぶしげ)です。中村信以は、1875年(明治8年)1月3日京都府で生まれましたが、小学校高等科を中退後、北海道で働くことを決意して北海道に渡りました。札幌では、同郷の藤井太三郎(現在の大丸藤井の創業者)の元で修行を重ね、1898年3月12日書店を開業しましたが、彼の逞しい努力で北海道、東北随一の書店としての名声を博するに至りました。現在、札幌には大型書店が軒を並べ激烈な競合を展開していますが、中村信以が作り上げた[冨貴堂]のイメージは燦然として輝いています。信以は、1962年(昭和37年)1月1日、行年87才の生涯を終えました。
 所蔵 札幌市公文書館[喜久の薫]より転載

富貴堂発展の軌跡

中村信以
冨貴堂は、当初南2条西3丁目の札幌商館(通称勧工場(現在の市場の意味)の一小間で誕生しました。創業当時は、本の行商から始まりましたが、アイディアに溢れた積極的な商法で瞬く間に知名度が高まりました。信以は、人通りの多い南1条通への進出を狙っていましたが、1906年(明治39年)待望の南1条西3丁目(現在の三越前パルコ)に店舗を構える事が出来ました(写真左はこの当時のものです 所蔵 札幌市公文書館)。冨貴堂はその後1937年(昭和12年)鉄筋4階建てのビルを建設して益々隆盛の一途を辿りました。(写真右は、[喜久の薫]に中村以信とともに写っていたものです)。

[渡島通]を走行する[馬車鉄道]

馬車鉄道南1条に進出した当時、札幌の交通は[馬車鉄道]で、札幌停車場通にも馬鉄が走行していました。当時南1条通は[渡島通]と呼ばれ札幌で一番賑やかな通りでした。1907年(明治40年)5月札幌で大火がおこり中心部は焼け野原となりました。このことが、新しい建築に繋がり近代化の足がかりとなったのかも知れません。
所蔵 北大付属図書館

渡島通

開拓使によって開拓が進められた明治14年当時の札幌の全景写真です。
所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道写真編]より転載。

中村信以の生涯をかけた郷土文化の振興

中村信衣はその生涯をかけて富貴堂という書店の経営に留まらず、書物の販売を通じて郷土の文化を振興することに大きな力を発揮しました。彼の功績に対して札幌市の創建80年、北海道開道90年でそれぞれ表彰されています。かつて多くの市民に愛された富貴堂と共に、文化都市札幌への大きな遺産を遺した先駆者のいることを忘れてはならないと思います。

参考資料
2013.12.18-9日の北海道新聞夕刊に田原 洋朗氏の[富貴堂1898ー2003]という記事が掲載されています。[100年前の目録広告][出版、音楽にも創業者情熱]など興味深い記事です。下記をクリックしてごらん下さい。
[富貴堂記事]←CLICK