札幌農学校の開校

札幌を語るとき、人々の脳裏を掠めるのはポプラ並木とクラーク博士に表徴される[エルムの学園]であり、札幌のシンボルと謳われている[時計台]です。これらの原点となつているのが[札幌農学校]です。

開拓使仮学校の創設


開拓使仮学校
(所蔵 北大付属図書館写真集北大百年より転載   開拓使仮学校跡碑
札幌農学校の原点は[開拓使仮学校]の創設に始まります。1869年(明治2年)開拓使が東京芝の増上寺に設置されましたが、1872年(明治5年)北海道開拓に携わる有能な人材を育成するため開拓使と同じ増上寺の境内に[開拓使仮学校]を併設しました。生徒の定数は、官費生50名、私費生50名の合計100名で、卒業後官費生は10年、私費生は5年北海道の開拓に従事することが義務づけられていました。この学校の経営には当時の開拓次官黒田清隆が中心になっていましたが、招聘され来日したホーレス・ケプロンも開拓使顧問として学校の運営に携っていました。

札幌学校(札幌農学校)の開校

東京で創設された[開拓使仮学校]は、1875年(明治8年)に[札幌学校]と改称されて札幌に移りました。開校式は1875年9月7日で、校舎は現在の札幌時計台の側にあった外国人の寄宿舎を改築して使用していました。この[札幌学校]も、翌1876年には[札幌農学校]と名前を変えて開校しました。


演武場と札幌学校の講堂(所蔵 北大付属図書館)     札幌学校の演武場(所蔵 北大付属図書明治・大正期                             の北海道写真集より転載)

東北帝国大学農科大学から北海道帝国大学へ

1876年(明治9年)開校した[札幌農学校]は、1903年(明治36年)現北海道大学のキヤンパスに移転しました。その後、1907年(明治40年)には[東北帝国大学農科大学]となり、大正年代に入り1918年(大正7年)には[北海道帝国大学]となりました。現在の北大キヤンパスには、農学校時代の思い出を留める数々の建造物や記念碑が存在しています。初代の農学校の教頭を務めたクラーク博士の胸像もその一つです。

写真(左)古河講堂(1909年建設) (中)昆虫学教室(1901年建設) (右)クラーク像