豊水すすきの周辺

[すすきの]と、中島公園の中間が[豊水地区]です。地下鉄東豊線には[豊水すすきの]という駅名がありますが正式には[すすきの]という地名はなくすべて条と丁目です。すすきの交差点から南に進むと道路の右手に[すすきの市場]の建物が顔を見せています。

すすきの市場この建物は1958年(昭和33年)建設され、1Fは[すすきの市場]BFは[すすきの〇(ゼロ)番地]でお馴染の飲食店街、2F-5Fは[すすきのアパート]で、札幌でも再開発ビルのはしりです。この市場の始まりは[札幌第二公設廉売市場]で、大正11年に設けられていたもので札幌の廉売市場の老舗でもあります。この市場は、ススキノのお店の調理場を一手に引き受け、夕刻になると仕入れ、配送など大忙しです。この階上は住宅公団の賃貸マンションで、札幌でもマンシヨンのはしりでした。建物自体は外壁などは塗り替えられていますが、佇まいは昔と変わらず、多くのサラリーマンが[ススキノ0番地]と呼んで夜の社交場として賑あっていた頃を思い出します。







繁華街のど真ん中に赤い鳥居が目立つのが[豊川稲荷札幌別院]です。この鳥居の側に[三岸好太郎生誕の地]の案内板があります。[三岸好太郎]生誕の地]案内板には次のように記されています。
[明治36年(1903年)4月8日にここ南7条西4丁目の一角で生まれた。札幌一中(現南高)卒業後上京して第一回春陽展に入選し、後独立美術協会の創立に参加する。天才的な感覚で次々と作風を変え、特に死の直前の蝶と貝による幻想的な光景など日本前衛絵画の先駆者として果たした役割は大きい。昭和9年7月1日旅先の名古屋で急死した。31才だつた。女流画家三岸節子は夫人、道立三岸好太郎美術館がある。厚田村で生まれた時代小説家の子母沢寛は異父兄にあたり、私立北海中学に学ぶなど札幌とも縁が深い。]

豊川稲荷三岸好太郎生誕の地碑

写真下左図は、料亭[川甚]です。豊水地区を流れる[鴨々川]のほとりに昭和20年に創業した老舗です。かつてはススキノにも料亭が多くあり、それぞれに話題も多くありましたがそれらの料亭も時代の流れて殆どが姿を消してしまいました。この[川甚]も昭和47年に閉店しましたがその後昭和54年に再開し現在も昔のままに残っています。外観は昔のままで高さが4メートルもある木の塀で囲まれていますが、内部は昔とすつかり趣を変え大座敷が洋風のホールに替わって現代風に変身してフローリングになりましたが再び畳敷きに戻っています。再開ご数度訪ねましたが調度品などは昔ながらの風格を感じるものばかりです。
写真下右図は、[札幌ロイヤルホテル]です。札幌に札幌グランドホテルしかなかった1964年(昭和39年)二番目のシティホテルとしてオープンした老舗中の老舗です。時代の流れの中で本州系ホテルの相次ぐ進出などにより、2008年(平成20年)6月で閉館しました。豊平川を見下ろす南7条東1丁目にありました。

料亭 川甚旧札幌ロイヤルホテル

写真下左図は、すすきの本通を跨いで東西に流れる[鴨々川]です。豊平川の南17条付近から分流してその後中島公園内を流れ最終地点は旧ロイヤルホテル付近で[創成川]に合流しています。川の長さは約2.5キロメートルです。
写真下右図は、旧豊水小学校です。2004年(平成16年)3月、市内小学校の統廃合により廃校となり、現在は市の外郭団体、札幌市公文書館として運用されています。(南8条西2丁目)。

[鴨々川旧豊水小学校

写真下左図は、[札幌市文化資料室(公文書館前の写真です)]。写真下右図は、[豊水小学校大典記念文庫]です。この記念文庫は1916年(大正5年)造られたレンガ造り2階建ての6坪の建物ですが、当時図書館を持つ小学校も少ない時代学校図書館の先駆け的存在でした。

札幌市文化資料室豊水小学校大典記念文庫

木下弥八郎君之碑木下弥八郎君之碑
この碑は、南10条西2丁目にあり、1丁目と2丁目が交差する三角帯に建立されています。高さが4メートルもあり一際目立つた存在です。漢文で書かれた碑文は時の総理大臣原敬、題字は、西園寺公望によると言われています。木下弥八郎は、1826年、現在の兵庫県で生まれ、豊岡藩の家老職に就いていますが、明治に入ってからは北海道開拓のために尽力した一人です。