平岸通 2(真駒内・石山)

地図
[平岸通]は、地下鉄の路線と並行しており、地下鉄駅は[中の島]に続いて[平岸][南平岸][澄川][自衛隊前]そして終点[真駒内]となります。[平岸通]は、この後真駒内駅前から真駒内の住宅地を縦断して石山地区に入り、石山1-2の高架橋で[真駒内通]と交差した後石山2-6で[石山通]と合流します。現在札幌のベットタウンとして大きな発展を遂げた[真駒内]は、エドウィン・ダンによる放牛場が原点ですが、左図のように[豊平川]以東、国道453(真駒内通)と平岸通の間が主たる真駒内のエリアです。真駒内は、住宅街が大きなシエアを持つていますが、自衛隊の駐屯地も大きなスペースを持っており、公園・緑地なども豊富で自然の景観にも恵まれたエリアでもあります。また、石山は、札幌軟石の採掘地として拓けた街だけに街中のそこかしこに札幌軟石の建造物が多く見られ、歴史を感じさせてくれる町並みです。
平岸通に並行して走る地下鉄南北線も[真駒内]が終着駅ですが、ここは市内各地に繋がるバスのターミナルでもあります。1972年の冬季オリンピックの会場として、関連施設や道路などの基盤整備も進められましたが、歴史的文化遺産も多く、開拓の歴史を今に留めてい場所も随所に見られます。

平岸通(真駒内駅)周辺

平岸通と並行して地下鉄も走行しています。真駒内駅の道路側は[五輪団地]と呼ばれマンションが整然と建立されていますが、駅の裏山は、正式に[真駒内保健保安林]ですが通称[桜山]と呼ばれています。林内には約4キロの遊歩道も整備されています。駅前は、道路幅も広くバスの発着やタクシーの乗降客で何時も賑あいを見せています。
駅前から国道453(通称真駒内通)に通ずる道路の右側には、かつての冬季オリンピック時には選手村であったマンション群が姿を見せています(写真下左図)。このマンション群を過ぎ右折すると真駒内の住宅街で中央分離帯を挟んで車・歩道が整然と伸びバス路線にもなつています。

真駒内緑町4 真駒内駅前通地下鉄真駒内駅前広場旧オリンピック選手村真駒内住宅街

下の写真は、紅桜公園内にある[開拓神社]です。[紅桜公園]の正式な住所は南区澄川389番地ですが、真駒内駅裏に広がる[桜山]の三輪の一角にあり、真駒内駅からは0.72キロメートルです。私設の公園ですが園内は広く景観も素晴らしく散策路も整備されています。[開拓神社]には社殿はなく碑が建立されているだけです。[山の神]碑は、軟石の採掘の安全を祈願して、石切り場に大正10年(1921年)に建立されたものです。(写真右図)

開拓神社開拓神社碑山之神碑

石山陸橋

[平岸通]を進とやがて[石山陸橋]です。この地点は、[真駒内真駒内通]と[平岸通]が交差しています。ここからの警官は素晴らしくはるか遠くに手稲山の頂を臨む事が出来ます。左図の先を進と石山地区です。

石山陸橋石山陸橋からの眺望

石山周辺

写真下左図は[旧定山渓鉄道石切山駅舎]です。1918年に開業した定山渓鉄道は、1969年10月に廃止されバス路線に切り替えられました。旧駅舎は、現在も保存され地区の公共施設として活用されています。写真右図は、旧駅舎のおらに広がる公園ですが、かっては駅の構内であった場所です。

旧定鉄駅舎石山北公園

旧石山郵便局[旧石山郵便局]は、さっぽろふるさと文化百選にも選ばれた建築物の一つです。
この建物は昭和10年代に建築されたもので、正面玄関のアーチが当時としては珍しく人々の注目を惹いていました。現在は[ポスト館]として民間企業が活用していますが、札幌でも数少ない洋風建築の一つでした。

石切山街道碑石山1条3丁目、石山交番横に平成7年(1995年)11月に設置された碑で、[石切山」は石山地区の古い呼び名で、定山渓鉄道の駅名でもありました。

石山地区は開拓使時代に軟石の発掘現場があり今も岩肌が削られた山並みが続いています。平岸街道からやや左手の小高い丘に[石山神社]があります。石山地区は、真駒内と藤野の間にある地区で、アイヌ語では[ウコッ・シリネイ(互いに山にくっついた処)]で、この地区の開拓は明治8年の札幌軟石の採掘から始まりました。軟石の採掘が盛んになり[石切山]と呼ばれていましたが、昭和19年の字名改正で[石山]となりました。この神社は、明治18年に創建された社で、天照大御神、大山祇神、豊受姫神、八幡大神、春日大神が祀られています。明治43年に社殿が造営されましたが、現在の社殿は昭和2年に完成したものです。



平和の像左図は石山神社の境内から見た石山小学校です。校舎の裏は山肌が削られた荒々しい姿で、まさに石山と呼ぶに相応しいロケーションです。この石山小学校玄関前には、本田明二さんの[平和の像]が建立されています。