石 山 通 1(地下鉄西11丁目駅周辺)
[石山通]は、北18条西15丁目を起点にして、南区の簾舞を終点とする通で、北1条西11丁目以北は国道452号線、北1条西11丁目以南は国道230号線の別名です。1875年(明治8年)、穴の沢(現在の南区石山)から札幌軟石が産出され、札幌の中心部に運ぶ輸送路として[石山通]という名前が付けられました。1909年(明治42年)には道路上を走る[札幌石材馬車鉄道]が設置され、現在の南2条あたりまで運行していました。現在の市電の前身です。
左の写真は、地下鉄[西11丁目駅]から地上に出て、石山通の南方向を俯瞰したものです。この通は、定鉄バスの路線ですが、札幌から定山渓温泉方面に通ずる大動脈で車の数も多く上下6車線にひしめき合って走行しています。
目を公園の東側に転ずると、北海道の開拓に尽くしたホーレス・ケプロンと黒田清隆の像の背景がみえます。ここが西10丁目の広場です。黒田清隆(写真下右図)は、明治3年に開拓次官、後に開拓長官に就任しましたが、北海道開発の重要性を認め大きな力を発揮しました。外国からもケプロンはじめ多くの専門家を招聘、また、官営事業なども積極的に推進しました。像は昭和42年の北海道開道100年を記念して建てられ、制作は雨宮治郎、題字は当時の知事町村金五が揮毫しました。
ホーレス・ケプロン(写真下中央図)は、アメリカの農務省長官をやめて明治4年に来日し、開拓使の顧問として北海道開拓のためにも大きく尽力された方です。この像の作者は野々村一男で題字は、町村金五知事です。
写真下左図は、西11丁目広場、写真下右図は、西12丁目です。左図の木を飾ったモニューメントはドイツの民俗で[マイバウム]です。このマイバウムは、高さ25メートルで姉妹都市ミュンヘンから贈られ、1976年(昭和51年)に設置されましたが老朽化したため2001年(平成13年)立て直されました。右図の西12丁目は、30種類のバラが咲く庭園[サンク・ガーデン]です。
2010年、12丁目の入口に札幌との姉妹都市[瀋陽市]との提携30周年を記念してコーナーが設置されました。瀋陽市から送られた薔薇の植え込みが二ケ所あり、中央に両国語で記載された提携記念パネルが設置されています(下右図)。
西13丁目の[札幌資料館]です。この建物は札幌控訴院として1926年(大正15年)9月に完成しました。煉瓦、札幌軟石、鉄筋コンクリートで造られています。1973年に札幌市資料館となり、1997年には国の登録有形文化財になっています。(下図は、資料館の裏庭)
大通公園(西8丁目以西)と周辺の彫刻
ブラック・スライド・マントラ(8丁目)
有島武郎文学碑(9丁目)
湧水の彫刻(教育文化会館)
若い女の像(12丁目)。 洋(教育文化会館)。 法の女神像(札幌資料館)。 四つの輪(中央区民センター)。
大通公園を挟んで[北大通]と[南大通]の二本の幹線が走っています。写真下左図は、北大通と石山通が交差する十字路です。前方に見えるのは、札幌高等裁判所の庁舎で、司法関係の庁舎が並んでいます。写真下右図は、札幌市教育文化会館です。1971年にオープンしましたが客席数1,008席の大ホールと360席の小ホール、研修室、ギャラリーなどの施設がありコンサート、演劇、舞踊、講演会などに利用されています。
[石山通]を南に進むと南1条の電車通を越して南3-4条には札幌市の行政機関が集約しています。写真下左図は、中央区の区役所で背後の高い建物は集合住宅で右隣に見える円筒の白亜のビルは[札幌プリンスホテル]です。写真下右図は、区役所と道路を隔てて南側に建てられている[札幌中央健康保健センター]です。
写真下左図は、[石山通]東側の[中央区民センター]で、下右図は、これよりやや南に位置する[札幌消防署]の建物です。ここから丁字路になり[すすきの]方向に向かいます。
ここから[南4条通]です。前方に進むと間もなく左手に[資生館小学校]、右手にホテル[東急イン]があります。南4条通は、中央分離帯が広く茂った木立を挟んで車道があります。この大木が平成16年9月8日の台風18号により大きな被害を受け数多くの樹木が伐採されたのは大変痛ましい出来事でした。