旭山記念公園 中央区界川4丁目


[旭山記念公園]は、札幌市の山の手藻岩・円山の山並みに繋がる界川4丁目に位置しています。 この公園は1970年に札幌市創建100周年を記念して開園した公園で面積は202,760平方メートル、標高137.5mで展望台からは、石狩平野や日本海、札幌市内を一望できます。



旭山記念公園の歴史(吉野牧場ー札幌温泉地ー旭山記念公園)



この地図は三関武治氏から寄贈されたもので所蔵は札幌市公文書館です。
中央の赤で囲った部分が現在の旭山記念公園です。明治30年頃から開墾が進められ炭焼きの為の木を伐採し、その跡に野菜の栽培をしていました。この山は吉野國太郎さんが所有していたため[吉野山]と呼ばれていましたが1922年(大正11年) 牧場としての利用が終わりこの土地は[札幌温泉土地株式会社]に売られ1924年 (大正13年)温泉を開業しました。1930年(昭和5年)札幌温泉は会社倒産のため[拓銀]のものとなりました。戦後拓銀は1946年(昭和21年)この土地を札幌市に寄付し1947年(昭和22年)からは温泉山 スキー場としての利用が始まりました。旭山記念公園は昭和41年(1966年)に札幌創建100年を記念して造成された公園で昭和45年(1970年)に開園しました.



[札幌温泉]誕生の背景は、大正11年設立された[札幌温泉土地株式会社]です。同社は、吉野牧場跡地や双子山地帯を買収して住宅地として造成をはじめ大正12年より販売を始めました。住宅地の販売を高める為の方途として[温泉浴場]の建設に乗り出し、定山渓から約6里あまりのコンクリート管を埋設し、大浴場は大正13年に完成しました。その後昭和に入り昭和3年同社は 住宅分譲の促進と温泉浴場への来客増を図るため電車の敷設を計画し、[札幌温泉電気軌道(株)(昭和5年から札幌郊外電気軌道に改称)]を設立し昭和4年から運行を開始しました。運行経路は市電円山3丁目停留所(現在の大通西23丁目)から西23丁目通南1-3-6-7-8-9条に停留所を設け終点は札幌温泉下でした。路線は単線で2両編成でしたが、昭和5年秋の変電所の焼出により運行が廃止されました。路線廃止で経営も苦しくなりましたが折りしも不況期と重なり住宅販売も思うに任せないことからこれらの事業から完全に撤退することとなりました。所蔵 札幌市公文書館

旭山記念公園寸描

 
旭山公園通の銀杏並木

秋の日の芝生広場
 
噴水広場に向かう遊歩道(4月)
 
リニューアルした展望デッキ
 
寺田京子歌碑
 
噴水広場
 
はたちのつどい記念碑 翔




Liberty Bell(自由の鐘)
我々は 若人に叡智と希望と行動を希み 未来に大きく翔く事を希いこの鐘を贈る
1980.12.10 寄贈 リバテイライオンズクラブ
 
段状テラスと展望広場
 
眞近に望む円山
 
中腹周辺を取り巻く遊歩道
 
白樺林の中の遊歩道
 
起伏に富んだ遊歩道
 
つり橋
 
札幌焼窯跡碑
 
札幌焼窯跡地
 
紅葉の時節を迎えた公園の木々
 
あたり一面が紅・黄色に彩られる