エドウイン・ダン記念公園 南区真駒内泉町1丁目
この公園は、地下鉄南北線[真駒内駅]から徒歩で約10分の処にあります。南区役所の傍で真駒内川と国道453号の東に位置しています。 面積2万4033平方メートルで南北に長く中央を真駒内用水が流れており公園内で池を作っています。かっては[真駒内中央公園]と呼ばれていました が現在は[エドウィン・ダン記念公園]と改称されています。
国道453号(真駒内通)に沿って広がる公園内東側には、整備された川が流れ公園外の真駒内住宅地と繋ぐ橋が幾つか設置されこちらからも気軽に園内に入ることが出来ます。また、ダン記念館に通路もあります。
[エドウィン・ダン]が放牛場を開設した時代の用水路の面影を今に留めています。
公園の東側には峯孝氏が制作した[エドウィン・ダン像]が建立されています。その側には日本語と英語で
書かれた[エドウィン・ダン顕彰碑]が建立されています。
[エドウィン・ダン像は、農作業衣に身を固め、肩には小牛を背負った逞しさを感じさせる像です。像の台座に[エドウィン・ダン]と刻まれた大理石の盤がはめ込まれ名前の上には下の写真のような[牛を引くエドウィン・ダン]のレリーフが飾られています。
エドウイン・ダンと記念館
[エドウィン・ダン]は、1848年アメリカオハイオ州チリコシで生まれました。マイアミ大学を卒業後23才で独立して従兄弟と共同で牧場の経営に当たっていました。一方1869年には北海道の開拓を進めるために開拓使が設置されましたが、当時の開拓次官黒田清隆は1871年に米国から農務長官のホーレス・ケプロンを開拓使顧問として招聘しました。1873年ケプロンは息子のA・Bケプロンを通じてシカゴに近い[ダン牧場]から牛20頭を購入しましたが、このときダンに農業教師になるよう奨め、ダンも1年契約で日本に来ることと成ったのです。ダンが25才の誕生日を迎える直前でした。1873年来日したダンは北海道の開拓に役立つ実践力のある技術者の養成に努めました。来日後青森県出身の松田ツルと結婚しましたが、1876年札幌への転勤を命ぜられ6月1日に着任しています。この年の8月にはウイリアム・S・クラークを迎え札幌農学校が開校しました。ダンは来札後札幌の西部に新しい牧草地を設け300頭を収容出来る札幌牧羊場を開設しています。ダンの功績として高く評価されるのは真駒内放牛場の建設です。1876年建設に着手して翌年からは放牛場としての活動を開始しています。ダンは酪農に必要な搾乳場、乳製品加工場、穀物貯蔵場など多くの施設を作ると共に、真駒内川の上流から用水路を掘って家畜管理用の水を確保するなど畜産分野の基盤整備に努め今日の発展の基礎を築いたのです。1882年には開拓使が廃止され、真駒内放牛場は農商務省に移管され、ダンは6年半にわたる北海道での活躍を終えて東京に戻りました。ダンは1931年5月15日東京で82才の生涯を終えましたが、ダンが北海道に残した数々の功績は今も尚高く評価されています。今日近代的な都市に発展した真駒内の原点はエドウィン・ダンが築いた放牛場だと言つても過言ではないと思います。
所蔵 北大付属図書館
[エドウィン・ダン記念館]は、現在札幌市の地下鉄南北線の終点[真駒内駅]のすぐ側にありますが、かつては旧北海道庁真駒内種畜場事務所の一部でした。戦後米軍に接収されましたが、昭和39年現在地に移されています。建物内部には4つの展示室があり、ここにはダンの往時の姿を描いた絵画23点を始め、ダンの使用していた生活用品なども数多く展示されています。
この記念館には展示室が4室あり、それぞれの展示室にはダンの偉業を伝える絵画や写真・遺品などが数多く展示されている。中でも目を惹くのは、一木万寿三画伯が描きあげた油絵です。左の絵は、畜力による農業を指導するダンが描かれています。
写真下左は、真駒内放牛場の写真です(所蔵 北大付属図書館)。原始林に覆われた原野を切り開き33ヘクタールを開墾し、牛64頭を飼育しました。下右は、真駒内第一公園に建てられている[放牛場跡地の像]です。
ダンが着任早々建設を始めた[真駒内放牛場]は、明治15年の開拓使の廃止に伴い明治19年には北海道庁に移管されましたが、北海道における畜産の拠点として大きな役割を果たしたのみならず、現在の真駒内地区発展の基礎を築いた意味でも特筆されています。