宮部記念緑地 中央区北6条西13目

札幌中心部北7条通を西進すると13丁目のバス停留所傍に下図左の様な[宮部記念緑地]の標石があります。この場所はかって宮部博士が住んでいた処です。


緑地内にある案内ボードです。
パネルには大凡次の様に記述されています。
[この公園は、北方植物の世界的権威として内外に優れた業績を遺された故、宮部金吾博士を記念して、その住居跡地を札幌市が取得し、都市緑地として整備したものです。宮部博士は万延元年(1860年)江戸下谷で生まれ、札幌農学校を卒業、ハーバード大学に留学し菌類学を専攻するかたわら千島植物史を編集出版、一躍世に知られるところとなりました。帰国後は札幌農学校の教授となり、明治32年、その創設に尽力された付属植物園の初代園長となりました。昭和2年、退官と同時に北海道帝国大学名誉教授の称号を贈られ、昭和21年文化勲章を受章、昭和24年には札幌市名誉市民の第一号となりましたが、昭和26年3月、惜しまれつつ91才で永眠されました]。
またボードには[宮部博士がこの土地に移り住んだ大正末期の札幌市の街並みや川の流れを舗装の模様と水路で表現した]と記述されています。


又、この緑地には宮部博士縁の[クロビイタヤ][オオバボダイジュ]等を遺す様に配慮されているとの事です。緑地内はこれらの樹木が繁茂し静かな佇まいを見せています。


宮部金吾博士と植物園


植物博士として、又、北大植物園生みの親として良く知られている、宮部金吾(みやべきんご)は、学者としてのみならず札幌市発展の功労者として1924年(昭和24年)7月10日、札幌市名誉市民第一号の称号が贈られています。宮部金吾は、1860年(万延元年)江戸で生まれ、1881年(明治14年)札幌農学校を卒業、2年間東京大学に派遣され、帰校後は札幌農学校の助教授を拝命し、植物園の開設を命ぜられています。博士は、生涯を植物の研究に捧げられましたが、敬虔なクリスチャンとして札幌独立教会を創立しその維持発展にも尽力を尽くされました。1947年(昭和22年)3月16日、満90才で他界されました。所蔵 北大付属図書館








下図左は北大植物園(正式名称 北海道大学北方生物圏フィールド科学センター耕地圏ステーション植物園)内
にある宮部金吾記念館で、正門前に右図の様なパネルが掲示されていますここには大凡次の様に書かれています
[宮部金吾(理学博士 1860-1951)は、明治10年札幌農学校二期生として、内村鑑三、新渡戸稲造、南鷹治郎、町村金弥等と学び業を終えて東京大学、更にはハーバート大学の学位を受け母校に奉職して今日の北海道大学
発展に深く寄与し、北海道、千島、樺太を踏破して北辺の植物研究に携わった。明治16年植物園の設計に参画し
初代園長として永年当園の完成に尽くした。昭和2年退職後も昭和26年91歳の生涯を終えるまでひたすら学究の日を送りこよなく当植物園を愛された。昭和21年に文化勲章を受章した。当記念館は、かって博士が講義・研究された札幌農学校植物学教室を昭和17年現在地に移転し永く園長室、園事務所とした由緒ある建物の一部である]。