中島公園 中央区中島公園

[中島公園]は、[大通公園][円山公園]と並んで札幌市の中心部の公園として全国的にもよく知られた公園です。公園の面積は、236.295平方㍍で、公園の北端は[菊水旭山通]南端が[米里行啓通]東側には[豊水通]西側に[西7丁目通]で、公園内には[中島公園駅][幌平橋駅]の2つの地下鉄南北線の駅があります。また公園の近くを流れる豊平川から分岐した鴨々川が園内を流れ創成川に引き継がれています。


公園の周辺状況

写真左は、公園の入り口から[ススキノ]方面を俯瞰したものです。写真右は、公園前を東西に走る[菊水旭山公園通]です。



写真左は、[豊水通]から中心部の西2丁目通です。写真右は、[菊水旭山公園通]と[豊水通]交差する一角にある[札幌パークホテル]です。この右手が公園です。



[豊水通]を南に進むと右手が公園で、左手は高層マンシオン群、ホテルなどが立ち並んでいます(写真左)。
写真右は、公園の南東端の地下鉄[幌平橋駅]です。



[豊水通]沿いにある[北海道文学館 写真左]と[伊夜日子神社 写真右]です。


中島公園の歴史

鴨々川の貯水場から中島遊園地へ

中島公園の歴史は、1874年(明治7年)に遡ります。この年[鴨々川]に水門が設けられ現在の中島公園あたりの小さな池を拡張して貯水場 が作られました。この貯水場は鈴木元右衛門が工事を請け負った事から[元右衛門堀]と呼ばれていたそうです。
この貯水場は豊平川の上流で伐採した木材を大友堀(現在の創成川)ほとりの製材所に流すために設けられたものですが、その後この貯水場を公園にしようと言う計画が膨らみ1887年(明治20年)から中島遊園地として整備が始められました。(当時の貯水場が現在の菖蒲池です)。
所蔵 北大付属図書館
北海道物産陳列所の開設と博覧会の開催

1887年(明治20年)[元右衛門堀]の隣に北海道物産陳列所が設けられ、北海道物産共進会が開催されその後様々な博覧会などが開催されてきましたが、中でも開道50周年を記念して1918年(大正7年)開催された北海道博覧会では、札幌で始めての電車が開通するなど大きな話題を呼びました。この時に博物陳列場の南に競馬場も建設されました。

所蔵   北大付属図書館
タイトル 中島遊園地陳列所冬景 




写真左 初めて開通した札幌市電
写真右 博覧会場のシンボルタワー
所蔵 札幌市公文書館
岡田花園の開園

当時の開拓使の御用商人であった岡田佐助が、1889年(明治22年)札幌区の公有地を借り受けて作り上げたフラワーパークが岡田花園で現在の豊平館から八窓庵にかけた場所です。この時期には、現在の北12条一帯に信濃から入植した上島正が『東皐園』という花園を作り上げ、北の東皐園、南の岡田花園として人気を呼んでいたようです。(写真左が岡田花園で右が東皐園です)。所蔵 札幌市公文書館


中島遊園地から中島公園へ

1886年(明治19年)12月15日付で、『中島遊園地』が札幌区に編入されて正式に中島遊園地という地名になりました。中島遊園地には、物産陳列場での様々な品評会、競馬場での競馬も人気を呼びましたが、1888年(明治21年)に現在のこぐま座の裏手に料亭の大中亭を設け、池にウグイを放して釣り堀にすると共に、ボートを浮かべて船遊びの場所として利用が始まっています。岡田花園や大中亭などは、宴会の場所としても人気を集め、数百人規模の園遊会すら催されていたようです。その後1907年(明治40年)には、当時わが国最高の造園技師といわれた東京市の長岡安平氏によって公園設計が進められ、1910年(明治43年)にはそれまでの中島遊園地から「中島公園」と呼ばれるようになりました。

大正初期の中島公園 所蔵 札幌市中央図書館







 所蔵 北大付属図書館 
 (註)公園の歴史の詳細は中島公園のホームページをご参照下さい。      http://www.sapporo-park.or.jp/nakajima/

    中島公園NOW

日本庭園八窓庵

[八窓庵]は、江戸時代の大名で茶人の小堀遠州(1579-1647年)が建てたと伝えられる茶室です。当初は、滋賀県の小室城内に建てられ、1936年に国宝に指定されましたが、国宝保存法が廃止され1950年に国指定の重要文化財になりました。この茶室が札幌に移転するまでの経緯は色々あるようですが、札幌在住の持田謹也氏が買い取り北4条西12丁目の自宅に移転しましたが、その後実業家の長沢元清氏の手に移り、昭和62年に氏から札幌市に寄贈され現在地に保存されています。この建物は、2005年積雪のため倒壊しましたが2006年には修復しました。現在内部参観が許可されず、外廻りからのみの撮影となりました。案内によると、建物は、三分庵、水屋を敷設した3室1棟で、内部は、2畳台目(2枚の本畳プラス本畳の4分の3の広さ)で、8つの窓があるのが特徴だと云われています。恐らく[八窓庵]の名前もこのことに起因しているのでしょう。










豊平館

中島公園に移転した現在の豊平館です。現在は國の重要文化財に指定されていますが、外壁を縁取る美しいウルトラマリンブルーは、創建当時の姿をそのまま留めています。
(註)耐震工事を終え2016.6月リニューアルしてオープンしました。
[豊平館]は、明治、大正、昭和の3代の天皇が行幸啓に際して宿泊された由緒ある建物です。明治14年8月北海道開拓の視察のため小樽港に上陸された明治天皇は、機関車[義経号]の牽く開拓使号をお召し列車として札幌においでになり以後4日間豊平館を行在所として市内および近郊の開拓状況を視察されました。明治4年には皇太子殿下(大正天皇)の行啓に際しても豊平館を宿泊所とされました。また、大正11年7月には摂政宮殿下(昭和天皇)も宿泊されています。


菖蒲池





写真左 コンサートホール[Kitara] 写真右 札幌市天文台


鴨々川と中島公園

公園の入口にはシラカバで組んだ小橋があり、ここを抜けて公園内に進みますこのシラカバの小橋から眺めると、川は二つの方向に分かれて流れ右手が本流です(写真左)。
川の処どころに渡り橋が架けられ、また浅瀬には石が並べられて渡りやすくなっています(写真中)。
少し先に目を転ずると[みその橋]が見えます。この橋は[札幌護国神社]の正殿に通ずる橋です(写真右)。




札幌護国神社の正門です。この神社は明治10年の西南の役で戦病死した屯田兵の霊を祭っていましたが、その後日清、日露戦争の戦没者も合祀しています(写真左)。
中島公園を流れる鴨々川はゆったりとして静かな佇まいを呈しています(写真中)。
この橋は[南14条橋]です。赤い鮮やかな欄干の色が川面に影を映しています(写真右)。



この橋は[白鶴橋]です。平成8年12月に竣工した橋で橋幅も広く落ち着いた品格のある橋です。中島公園への重要なアクセスとしての役割を果たしています(写真左)。
公園を出た鴨々川は公園の西側を通る[鴨々通]に沿って北進を続けます(写真中)。
この[中島橋]を渡ると、中島公園の[日本庭園][八窓庵]の案内ボードがあります(写真右)。



[中島橋]を進むと[菖蒲池]に出ます。この池は面積1.5ヘクタールと小さな池ですが、中島公園のシンボル的存在で別名[ボート池]とも呼ばれています(写真左)。
中島橋から更に北進すると川の流れは建物の間に姿を隠してしまいます。写真は[児童会館]と広場です写真中)。
札幌水天宮の祭神は安徳天皇、大国命、小名彦命で明治17年九州久留米水天宮から分霊したものです。明治21年から現在地に祭られています(写真右)。



[児童会館]のある広場の裏手に[水天宮橋]が架かつています。園内に入って2手に別れ別れになっていた流れはここで合流して、賑やかな都心へ向けての旅を続けるのです(写真左)。
[水天宮橋]を過ぎると間もなく中島公園の出口で、南9条の幹線道路下に入り創成川へと続きます(写真右)。





中島公園の碑と彫刻

(写真左)四翁表功之碑
この碑は、[日本庭園]の入り口に建立されています。この四翁とは、札幌の開拓に尽力した[水原寅蔵][大岡助右衛門][石川正叟][対馬嘉三郎]の四翁の事です。
[四翁表功之碑]は、1918年(大正7年)が開道50年と札幌本府創建50周年の年でした。これを記念して翌1919年(大正8)に創建当初の功労者を顕彰するためにこの碑を建立したものです。

(写真右)東宮殿下御慶事記念桜碑
この碑は、菖蒲池の脇に建立されていますが、風雪に曝され文字の判読もままなりません。碑の銘板には明治33年5月10日と刻まれております。
明治天皇時代、時の皇太子だった大正天皇のご結婚を祝って植樹されたもので、その桜が碑の後手に見えます。

(写真左)
林 正美
ヨットと方向

(写真中)
山内壮夫 
森の唄

(写真右)
小野健寿
伸びゆく子等



(写真左)朝倉文夫 木下成太郎先生像
(写真中)小田 襄 風景の夢
(写真右)松本純一 みどり子フアミリー


(写真左)
山内壮夫 
笛を吹く女

(写真中)
山内壮夫 
母と子の像

(写真右)
山内壮夫 
鶴の舞

(写真左)
山内壮夫 
猫とハーモニカ


(写真右)
安田侃 相響

宮田亮平
レオード・バーンスタイン立像