この場所は1894年(明治27年)新渡戸稲造博士が勤労青少年のために開設した札幌遠友夜学校」跡地です。
当時札幌農学校の教授であった新渡戸稲造博士は、妻メリー夫人の実家に引き取られて育った孤児の女性から遺贈された1000ドルをもとに[札幌遠友夜学校」を創設し当時の札幌農学校の学生たちが無償で教壇に立ち活動を続けました。1944年(昭和19年)に閉校しましたがその後1964年(昭和39年)にはこの地に札幌市勤労青少年ホームが建設され、この建物の中に[札幌遠友夜学校記念室]が設けられました。1979年(昭和54年)には札幌出身の彫刻家山内壮夫氏制作による新渡戸稲造萬里子両先生顕彰碑が前庭に建立されました。
2011年(平成 23年)レッツ中央(旧札幌市勤労青少年ホーム)が解体され同時に札幌遠友夜学校記念室も札幌市資料館に移転しましたが現在は記録資料は北大総合博物館に引き継がれています。2015年(平成
27年)にはこの場所は地域の交流拠点となり新渡戸稲造博士の精神を受け継ぐ「新渡戸稲造記念公園」として開園しました
新渡戸稲造夫妻が創設した[札幌遠友夜学校]の記念室があった札幌市中央区南4条東4丁目は、豊平川に架かる豊平橋に程近く、川の両岸には札幌の開祖である[志村鉄一][吉田茂八]の石碑が建立されるなど札幌の開拓が始められたエリアです。また現公園の傍には札幌と千歳方面を繋ぐ国道36号線が走行しています。
公園の入り口には格言が記された石碑が設置されています。写真左は公園の西側入り口に設置されています[With malice toward none,
With charity for all. 誰に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心を持って。Abraham Lincoln]。写真右は博士の語録で[願わくは、われ太平洋の橋とならん。I
wish to be a bridge across the Pacific. 新渡戸稲造]と書かれています。
公園の東側入り口に建立されているこの像は、[新渡戸稲造・萬里子顕彰碑]です。台座とあわせると3メートルのブロンズ像で作者は山内壮夫です。青年は、新渡戸稲造・萬里子夫妻の胸像を捧げて立っています。この像の横に
右図の様な説明パネルがあります。
新渡戸稲造の精神を受け継ぐ札幌遠友夜学校跡地
この土地は1894年(明治27年)新渡戸稲造が勤労青少年や晩学者のために開設した男女共学の無料の私設夜間教育施設「札幌遠友夜学校」の跡地です。当時札幌農学校の教授であった新渡戸稲造は、妻メリー夫人の実家に引き取られて育った孤児の女性から遺贈された1000ドルをもとに古家付き土地を購入して学校とし、主に札幌農学校(のち北海道大学)の学生たちが無償で教育に当たりました。女子に対する裁縫等の教育は地域の女性たちが協力しました。1944年(昭和19年)に閉校するまでの50年間に数千人が学び、1000人以上もの卒業生を世に送り出しました。その後、運営母体の財団法人札幌遠友夜学校から市に無償譲渡されたこの土地に、1964年(昭和39年)札幌市勤労青少年ホームが建設され、1979年(昭和54年)新渡戸稲造博士顕彰会により、札幌出身の彫刻家山内壮夫制作の新渡戸稲造萬里子両先生顕彰碑が前庭に建立されました。そして、2011年(平成 23年)レッツ中央(旧札幌市勤労青少年ホーム)が解体されたことをうけて、2015年(平成 27年)地域の交流拠点となり新渡戸稲造の精神を受け継ぐ「新渡戸稲造記念公園」として整備されました]。
「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」が中心となり、近い将来「札幌遠友夜学校記念館」の建設を計画しており募金活動などが進められています。そのため現公園内には諸施設も設けられず地域のコミュニテイ広場として活用されています。園周の草刈りや像の清掃などもそれぞれのボランテイア活動で行
われるなど札幌遠友夜学校に対する市民の熱意が感じられます。
新渡戸稲造・萬里子夫妻と札幌遠友夜学校
現在資料類は北大総合博物館に保存されていますが、かってこの場所にあった[記念室]の取材写真を中心に紹介
します。
写真左は新渡戸稲造・萬里子夫妻 所蔵 北大付属図書館
写真右
この写真は昭和4年に新校舎が建てられるまで使用されていた旧校舎です。所蔵 札幌市教育委員会
当時の展示室の様子です。展示室は2つあり展示室に掲げられているパネルには全面に学校の来歴、札幌の歩み、学校生活、運営に携わつた諸先生達のプロフイールなどが展示されていました。このパネルにも有島武郎、宮部金吾など縁の深い諸先達の写真なども展示されています。又、かっての教室をモデルにして作られた展示室には沢山のパネルが展示されています。このパネルのなかに、夜学校の校名の由来について書かれていました。それによると[遠友]は論語の[友あり、遠方より来たる。また楽しからずや]から名付けられたそうです。
(註)これらの史料は全て北大に保管されています。