大通公園 中央区西1丁目ー西12丁目


大通公園と言えば、夏の[ビアガーデン]冬の[雪まつり]会場として全国的にも知られた公園ですが、札幌市の中心部に位置し大通西1丁目から大通西12丁目までの長さ約1.5Km、面積約7.8ha(ヘクタール)の特殊公園です。後で述べるように現在の公園は様々な歴史的変遷を経ながら2011年には100周年を迎えましたが、札幌の街の発展に伴い公園の景観も時代とともに大きく変わりつつあります。大通公園は札幌を代表する観光スポットとしても大きな役割を果たしています。





大通公園の歴史

[大通公園]の歴史は、1869(明治2)年の開拓使による[札幌本府]の建設に始まります。当時の開拓判官の島 義勇が札幌の街づくりの構想を進める中で、碁盤の目状の区画を構想し東西の基軸を創成川とし、南北の軸は現在の大通公園である後志通としました。島の後任の岩村道俊が計画を進め1871(明治4年)中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線がつくられました。これが大通公園のはじまりです。

写真左図は、明治4年当時の札幌の姿です。
所蔵 北大付属図書館

この火防線に1875年(明治8年)頃、開拓使が西洋草花を西3・4丁目に植え[大通花草園]と呼ばれていましたが、1878年(明治11年)には第一回農業仮博覧会が開催されと言う記録も残されています。

明治40年に民間人である小川二郎が、自費で大通を耕して2丁目から4丁目にかけて芝生を造成し、花の苗を植えて花壇を造成した記録が遺されています。
小川は、明治27年(1894年)札幌興農園(南2西1)を開業し農産種子、農具などを販売していましたが、その後[札幌興農園]を独立させて1899年(明治32年)札幌駅前(北4条西3丁目)に移り和菓子、食料品、雑貨を扱い明治39年(1906年)には北4条西3丁目にレンガ造りの店舗を作りこれを[五番館興農園]と名付けました。写真左図は小川二郎 所蔵 北大付属図書館。写真右図は[小川二郎が造成した西3丁目の花壇]所蔵 札幌市中央図書館。

明治34年には大通逍遙地が設定されたあと、公園的な整備が少しずつ進められてきましたが、1909年(明治42年)当時の札幌区が東京市の造園技師である長岡安平に公園設計を依頼した事を契機に整備が加速されました。
写真は明治42年当時の大通逍遥地の様子です。

所蔵 北大付属図書館





写真左図 1903年(明治36年)当時西7丁目に建立されていた黒田清隆将軍像  札幌市公文書館所蔵。
写真右図 1909年 明治42年)当時西3丁目に建立されていた永山武四郎将軍像 札幌市公文書館所蔵。


昭和期の大通公園

写真左図 昭和10年の大通公園  写真右図 昭和12年の大通公園 所蔵 札幌市公文書館



昭和期に入り年々整備が薄められてきた公園も第二次世界大戦中は様相が様変わりし、園内の銅像は金属回収のため解体され、戦中戦後は食料増産のため芝生は掘り起こされて芋畑となりまた、公園は随所がごみ捨て場になるなど無残な姿で推移しました。戦後は大通周辺のビルは接収され、あわせて園内には駐留軍のための教会やスポーツ施設が作られました。
公園復活の契機となったのが進駐軍の真駒内キャンプクロフォードへの移転でした。駐留軍施設は解体され、芋畑を芝生に復元して花壇の造成のための努力が続けら昭和27年からは15社が参加して、ボランティアによる花壇を作りが始められました。
一方1950年(昭和25年)から始まった[雪まつり]も公園復活の大きな起爆剤となりました。
所蔵 札幌市公文書館
1950年(昭和25年)市内の中学・高校生が6つの雪像を大通に作ったのが[雪まつり]の始まりです。雪像が作られたのは第3回大会からで、最初は雪合戦やカーニバなど市民参加のイベントなども取り入れられていました。(写真は[雪まつり資料館]のパネルからお借りしました)。


四季折々のイベント

写真左 さっぽろライラックまつり5月下旬      YASAOIソーラン祭6月上旬 



さっぽろ夏まつり ビアガーデン7月下旬ー8月中旬  さっぽろホワイトイルミネーション11月下旬ー1月上旬



ミュンヘン・クリスマスjn sapporo 11月下旬ー12.24日 札幌雪まつり2月上旬ー2月中旬


大通公園紹介

西1丁目ー西2丁目

写真左図 さっぽろテレビ塔
写真右図 北海道電話交換創始の地碑

この塔は昭和31年6月1日に着工し、11月に完成しました。建設費は当時のお金で1億7千万(現在の約50億円)で、地上からアンテナまでの高さは147,2㍍あり展望台は90,38メートルの高さです。大通公園のランドマーク的な役割を果たしています。

この碑は、北海道で初めての電話交換が始まった事を記念して建てられた碑です。大通公園2丁目に、縦1.2メートル、横1.3 メートルで真ん中に[電話交換創始の地]と彫られた銅板があります。周りの植え込みの中に低く埋め込まれているのでつい見逃してしまいそうです。副碑には、[明治33年、この地で北海道初の電話交換が開始されました。北海道の電話が100万台に達したのを記念して、当時の札幌電話局の跡にこの碑を建立します]と、書かれています。
写真左図は[壁泉]です。長さ33m、高さ1.8mでせせらぎの水音を再現し、カスケードが静かに流れる空間です。平成4年(1992年)に設置されました。
写真右図は[花の母子像]で、岩見沢出身の彫刻家、山内壮夫の作品です。



写真左図は[ベンソンの水飲み]で、昭和40年(1965年)10月に札幌市姉妹都市ポートランド市から贈呈されたものです。写真中図は[[開拓母の像]です。北海道開拓を影の力となって支えてきた母達を称えたもので佐藤忠良の作品です。写真右図は[水位表示塔]で、平成14年(2002年)国土交通省北海道開発局石狩川開発建設部が設置
したものです。


西3丁目ー西4丁目

西3丁目と西4丁目の間に[札幌駅前通]が走り、地下には[駅前歩道空間]が開通して地上と地下との交流が容易となり公園の3丁目・4丁目の南北両サイドの出入り口も設置されています。



左図は[坂 坦道 石川啄木像]です。この像は、札幌大通西3丁目に建立されています。啄木は、明治40年から1年間を北海道で過ごしましたが、札幌には、9月に僅か2週間の滞在でした。この碑文には[しんとして 幅廣き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひょ]と刻まれています。昭和56年啄木の70回忌に因んで建てられたものです。
右図は[吉井 勇歌碑]です。この歌碑は、大通公園西4丁目に建立されています。歌人の吉井勇は、昭和30年札幌を訪れた折に[北遊小吟]5首を詠んでいますが、その中の1首がこの歌碑に刻まれています。[家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし]と、ライラックに寄せる市民の感情を言い表しています。大通公園では、昭和34年から[ライラックまつり]が毎年春に行われていますが、この碑は、昭和56年に設置されたものです。



左図は[本郷 新 泉の像]です。この像は1959年ニッカウイスキー(株)からの寄贈によって大通公園西3丁目に建立されました。バックにテレビ塔、すぐ後ろには噴水があり、力強く吹き上げる水しぶきの中に浮かぶシルエットは清涼感に溢れ、すがすがしい雰囲気を醸し出しています。
中図は[峯 孝 牧童]です。この像は大通公園にある数多くの像の中でも一番古く1956年公園の西3丁目に建てられたものです。酪農王国北海道が牛乳生産100万石突破を記念して、酪農関係者によって建てられた[子牛と少年の像]です。
右図は[山田良定 湖風の像]です。この像は、1976年西3丁目に設置された像です。[湖風の像]について制作者である山田良定さんは[若者の心に湖の風のような清らかな息吹を感じてほしいと同時に、それを今の社会に求めたい]と述べています。この作品は1975年の日展特選作品です。



左図は[[道]碑]です。この碑は、西4丁目の地下鉄入り口に建立されています。高さが1.7メートルあるステンレスで出来た碑です。昭和62年8月10日、建設省が[道の日]を制定したのに因んで、全国から[日本の道百選]を選定しましたが、景観の美しさが評価されて[大通]が受賞し、これを記念して建てられたものです。
右図は[箕原 正 金属と水のモニューメント]です。大通公園には幾つかの噴水がありますが、この噴水は西4丁目に設置されている噴水です。

















西5丁目ー西6丁目ー西7丁目

写真左 聖恩碑

写真右開拓紀念碑


[聖恩碑] 西5丁目は、公園の中心に写真の[聖恩碑]が建立されその周りは一辺が14.6㍍、水深85cmの池になっており鯉が放流されています。この[聖恩碑]は、昭和11年の天皇陛下の行幸を記念して昭和13年に建てられたものです。[聖恩碑]は、明治、大正、昭和三代にわたる聖恩に感謝して建てられました。この碑塔の高さは16.4メートルで東正面に首領、両面に家来の彫刻が施されています。題字の[聖恩無疆]は、閑院宮戴仁親王の書によるものです。
[開拓紀念碑]この碑は、当初札幌でも最初の公園と言われている[偕楽園]に建てられましたが、明治32年大通公園が完成した折現在地の大通西6丁目に移されたものです。開拓紀念碑の題字は、榎本武揚の書と言われています。この碑は、高さ2.7メートル、幅1.6メートルです。明治19年9月に建てられたとの文字が刻まれています。
[西6丁目と日時計]



写真左は[峯 孝 奉仕の道]です。大通公園西6丁目に昭和57年設置されました。池の真ん中に設置された像の上には4種類の動物の像が配置されています。
写真右は[田畑一作 漁民の像]です。この彫像は、昭和44年北海道開拓100年と北海道魚協婦人部創立10周年を記念して大通公園西7丁目に建立されたものです。この像には、厳しい風雪に耐えながら北海道の開発と漁業の発展に寄与してきた先人達を敬う気持ちが込められています。


西8丁目ー西9丁目ー西10丁目

西9丁目の[遊水路]です。東隣の[ブラック・スライド・マンダラ]とともに子供達の遊戯ゾーンです。



北海道の開拓に尽くしたホーレス・ケプロンと黒田清隆の像の背景がみえます。ここが西10丁目の広場です。黒田清隆      ホーレス・ケプロン


写真左は[イサム・ノグチ ブラック・スライド・マントラ]です。この作品は、世界的な芸術家である[イサム・ノグチ]の作品で大通公園西8丁目に設置されています。白い雪に映えるようにと黒い花崗岩で作られた作品は、威厳のある姿で大通公園を代表するモニューメントの風格があります。平成4年に設置されたものです。
写真右は[藤川叢三 有島武郎文学碑]です。この文学碑は、大通公園西9丁目(左図)にあります。この碑には彼の作品である[小さな者へ]の一文が刻まれています。書かれている内容は次の通りです。[小さき者よ 不幸な そして同時に 幸福なおまえ達の父と母の祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ 前途は遠いそして暗い しかしおそれてはならぬ おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで小さき者よ]。
この碑文は、武者小路実篤の書で、文学碑は昭和37年9月22日建立されました。


西11丁目ー西12丁目

西11丁目のエリアは、国際交流ゾーンとも言うべきエリアで札幌との姉妹都市の様々な記念物が設置されています。下の写真で[噴水]と木を飾ったモニューメントが見えますがこれはドイツの民俗で[マイバウム]です。このマイバウムは、高さ25メートルで姉妹都市ミュンヘンから贈られ、1976年(昭和51年)に設置されましたが2001年(平成13年)立て直されました。



12丁目です。中央のカナール(水路)を挟んで両サイドは30種類のバラが咲く庭園[サンク・ガーデン]です。
姉妹都市[ミユンヘン][ポートランド]から寄贈されたバラが植栽されています。中央奥の建物は指定文化財[札幌市資料館]です。



写真左は、[瀋陽市記念コーナ]です。2010年、12丁目の入口に札幌との姉妹都市[瀋陽市]との提携30周年を記念してコーナーが設置されました。瀋陽市から送られた薔薇の植え込みが二ケ所あります。
写真右は[カナール]です。東西軸に、全長82m 幅2.1mの修景水路を整備。水路の両端に湧水口と中心に噴水があります。
 

佐藤忠良さんの作品[若い女の像]です。
バツクには札幌の歴史的建造物である[札幌市資料館]があり、古典的な建造物と近代的な若々しい乙女の裸像が対照的なコントラストを描いています。