松本十郎

プロフイール

松本十郎(まつもとじゆうろう)は、1869年(明治2年)から1876(明治9年)まで北海道にいて開拓使の財政再建と勧業政策を推進した先人の一人として後世からも高く評価されています。十郎は、1839年(天保10年)8月18日、庄内藩士(現在の山形県鶴岡市)に生まれ本名は戸田惣十郎でしたが後ほど松本十郎と改名しています。松本十郎は、当時の開拓使次官黒田清隆にその才能を認められ、1869年(明治2年)開拓判官に抜擢され同年10月に東京から移民団130人を連れて根室に入りました。根室時代の松本は、無駄な経費を節約し病院、学校の建設を行うなど、今日の根室市発展の基礎を築いた一人です。彼は1876年(明治9年)政策上で黒田と意見が合わずに辞職し、1916年(大正5年)1月27日に78才の生涯を終えられました。所蔵 北大付属図書館[明治大正期の北海道 写真編]より転載。

財政再建に敏腕を振るった松本大判官

1873年(明治6年)松本は当時35才でしたが、黒田清隆に求められて開拓使本庁の大判官に任命されました。当時開拓使本庁舎の工事が大詰めを迎え、岩村通俊の積極政策のため、財政は厳しい局面で推移していました。これを立て直すのが松本の最大の課題でもありました。財政再建のため役人の人員削減、新規事業の凍結などを果敢に行ったため財政再建は果たしたものの、札幌は不景気に陥り人口も激減しましたが、このため松本は新たな勧業政策を進めこれらの危機を乗り越える事が出来ました。写真は開拓使本庁ですが、松本は、最盛期の役員数700人を300人に激減させ、本庁の負債も全額償還するなどの敏腕をふるったのです。財政再建の鬼といわれながらも、身を挺して法を犯してまでも市民の生活を守るためにも様々な施策を行った事なども記録として残されています。所蔵 北大付属図書館

松本十郎と[桑園]

知事公館前庭
この写真は中央区にある北海道知事公館の構内の一齣です。古い歴史を持つこの場所は、かっては[桑園事務所]があった処です。この一隅に[桑園碑]が建立されています。松本が推進した勧業政策の一つは、大規模な桑畑の造成でした。1870年(明治3年)丘珠(現在の東区)に移住してきた庄内出身者が[野桑]の生育している姿を見てふるさとでの養蚕を考え蚕室などを作っていました。このことを松本が聞き大桑園の造成計画となつたものです。この計画を実施するため庄内藩から300人の士族が北海道に渡り3年間で桑畑や果実園70ヘクタールを開墾するなどの大きな成果をあげています。開墾地はその後[酒田桑園][第一桑園]と呼ばれました。松本によって進められた桑園造成と養蚕事業はこの後琴似屯田兵村などでも兵村の事業として進められるなど札幌の産業開発に大きな足跡を遺す処となりました。
当初の桑園碑は、1912年(明治45年)建てられましたが、現在の碑は1966年(昭和41年)建て替えられたものです。桑園の歴史を語り継ぎながら知事公館の木立の影にひっそりと佇んでいます。