見直されたラジオ広告

高度成長期、販売戦略のツールとして大きな力を発揮したテレビ広告の伸長と裏腹に、限られたターゲットに絞られたラジオメディアは広告面でも苦戦の連続でした。1959年には全国レベルで、又、1960年には北海道エリアでもラジオ広告費がテレビ広告費に追い抜かれる事となりました。このような厳しい状況の下でラジオメディアの復興と広告費の回復の足がかりとなった大きな柱の一つは[カーラジオ]の普及でした。
この切っ掛けを作つたのが1958年発売された大衆向け軽自動車[スバル360]です。この後自動車各メーカーは競って新製品の開発と市場の開発にむけて激烈な販売を繰り広げ、このため[カーラジオ]の普及はめざましい伸びを示したのです。この間北海道では1962年12月15日第二局目のラジオ局としてSTVラジオが開局し、ラジオ二局体制となったものの1960年以降テレビに逆転された広告費の低落傾向に歯止めをかける事が出来ませんでした。しかし1965年以降此までの低落傾向から反転してラジオも回復基調を歩み始めました。この好調の主たる原因としては次の二つのことが挙げられます。
@北海道における自家用自動車の普及を中心とする本格的なモータリゼーション時代の到来によるカーラジオの聴取人口の増加(1965年-1970年の自家用自動車の伸び率は455,9%)。
A ラジオ局の地域に密着した番組作りと、聴取者参加型の生活情報の多用化(ラジオ深夜放送、スポンサーの販促活動と連動した生ワイド番組の導入)。この結果ラジオ広告は地域性、費用対効果、販促効果などの面から再評価され回復局面から拡大局面へと進んでいくのです。



左図は1960年代の北海道におけるメイン媒体の広告費の推移を示したグラフです。ラジオの広告費は1960年終盤には、過去最高値を記録した1959年の12,9億をクリアして13,1億に達しました。 1965年には此までの低落傾向から反転して回復基調に乗り、特に1968年から1970年にかけては北海道地区でのラジオの伸び率はすざましく、テレビ広告費を凌駕する勢いを示しました。このようにラジオ広告はパーソナルな広告メディアとして再評価されましたが、この時代に導入された科学的手法である[リーチアンドフリケンシー]などが業界に浸透した結果です。

地域密着と聴取者参加番組の取り組みに向けてラジオ局の努力が続けられ、これと連動した販売促進ツールとしてのラジオコマーシャルにも多彩な展開が見られました。ラジオ公開番組、生放送の全盛時代でもありました。
<北海道放送社史>