バルセロナ(BARCELONA) を訪れて スペイン第二の都市であるバルセロナは紀元前6世紀頃ギリシア系フォセオ人によって築かれたと言われている。その後カルタゴ、ローマの植民地時代を経て、地中海貿易の拠点として大いに発展を遂げた都市である。バルセロナの人口は180万で、1888年と1929年の2回の万博、また、1992年にはオリンピックの開催で国際的にも知名度の高い都市の一つとなった。バルセロナは[コロンブスが新大陸のお土産を持ち帰った町][ピカソの育った町][天才建築家ガウディの町]として世界的にも知られ、永い歴史の風土がそこはかとなく感じられる町である。 バルセロナの象徴[サグラダ、フアミリア(聖家族教会)]バルセロナと言えばガウディと言われる位に、ガウディの建築物は市内に多い。代表的なものとしては[グエル公園][ミラ邸][クエル邸]が挙げられるが、時間の関係でその中でも最も代表作と言われるサグラダ、フアミリアの教会内部を参観するだけに終わった。 [アントニオ・ガウディ]は1852年出生、1926年交通事故死を遂げたが、1891年から彼が建設の責任者となり、彼の没後も建築が進められ完成には後100年とも200年とも言われている。左の写真は1989年当時の写真で、現在は[イエスの降誕][受難][地下大聖堂]など3つの教会建物が完成しているが1つの建物にそれぞれ4本の塔を持つている。 [現在の聖家族教会]<click> 完成予想図 |
[コロンブスのたまご]を生んだバルセロナ コロンブス記念塔は1882年着工し、1888年の万博を記念して竣工した。塔の高さは約60bで、新世界への船出を指揮するコロンブスの像が身長7.5bあり、新大陸を指して建てられている。 新大陸の発見で有名なコロンブス(クリストファー・コロンブス1451年-1506年)は1492年のアメリカ大陸発見で勇名を馳せたが、彼はスペインの王家に仕えたイタリアの航海・植民地行政者で4回の航海を試みている。 吾々も幼少の頃から聞かされていた[コロンブスのたまご]の由来を聞くことが出来た。コロンブスは1493年航海から帰国した折り、バルセロナの宮殿で歓迎会が催されたが、会に参加した人の中から羨望を込めて[誰でも西へ向かえば陸地に出逢う。当たり前の事だ]という声もあつたという。その時コロンブスはたまごを指さし[誰かこのたまごを立てる事が出来ますか]と、呼びかけ何人かが挑戦したが誰も立てる事ができなかった。そこでコロンブスはたまごを引き寄せテーブルで軽く叩いてたまごを立てることが出来た。これが[コロンブスのたまご]と言われる由来という事の様だ。 |
バルセロナ印象記 バルセロナ訪問の主たる目的は1992年に開催が予定されているバルセロナオリンピックの会場を見学すると共に、オリンピツクという国際的なビツクなイベントに行政、メディアなどがどのように取り組んでいるか、その実態を目で確かめる事であった。オリンピック会場はバルセロナの南西の端に位置している[モンジュイックの丘]を中心に開催されるが、メインの競技場なども仕上げの作業が続けられていた。競技場を見学した折、このスタジアムの設計に日本人の磯崎新さんが決定したとの話を聞き日本人の活躍に敬意を表した。関係者の話ではオリンピックスタジアムも1929年に開催された万博施設を修復して使用するなど、これまでの古い文化を大事にする心配りが随所に見られた。文化を大切にする国民性という事から言えば、今では世界的にも知られる聖家族教会が完成まで今後100年とも200年ともかかるという話には吃驚すると同時に営々として建設の進行を見守るこの国の国民性に驚かされた。短いバルセロナでの想い出は、この旅も終わりいよいよ帰国の途につく異国での最後の夜であった。地中海で採れる魚介類(オヒョウ、アンコウ、イカ、車海老、ムール貝)等をふんだんに使った料理(名前は失念)が食卓一杯に飾られ、これに伊勢海老などが我々の胃袋を満たしてくれる。 そして最後のお楽しみは本場の[フラメンコ]。この地方のフラメンコはマドリットやグラナダなどとやや趣を異にしており、激しさの中にも叙情を秘めた動きが特徴だと言われています。高く、低く、鳴り響くカスタネットの響きに暫し時間を忘れてフラメンコの神髄を堪能した。 この地でも感じたのは外国人の[愛嬌の良さ]である。ホテルでも気さくに言葉をかけ笑顔を振りまく。言葉は通じないものの何とも言い難い親近感を覚える。このホスピタリティこそ我々も大いに学ばなければならない点であろう。 10月26日、最後の訪問地バロセロナに別れを告げ、帰路はイベリア航空891便でアンカレッジ経由で帰国の途についた。このため飛行時間も18時間20分を要したが、お陰でアンカレッジ空港にも立ち寄ることが出来た。かっては通常アンカレッジ経由で、この空港で免税品(ウイスキー3本、香水、煙草) 等を買い込み、同じメンバーの権利を頂いてウイスキーを両脇に抱えて帰国した事を思い出した。当時の事を考えると、将に隔世の感を禁じ得ない。日本時間で10月27日午後5時無事成田空港に到着、二週間の駆け足ツアーを終えることが出来た。 ★ 参考資料としてリンクさせていただきました。 サクラダフアミリア(リスト) http://www.guell.co.jp/gaudi/familia/fami_00a.html |