1960年代の北海道地区における放送業界は、テレビの第三局目が誕生してテレビ広告の成長にも拍車がかかった。他方これまでテレビに逆転され低落傾向にあったラジオ広告費も本格的なモータリゼーションの時代背景が追い風となり'60年後半から上昇気運に転じた事はラジオ業界にとっても喜ばしい現象であった。
表17

1968年11月3日、HTBテレビ開局

'65年の経済不況は広告面にも多大の影響を与え、新聞、ラジオ広告費は前年を割ったものの、テレビのみが辛うじて前年実績をクリアする事が出来た。
ラジオ広告費は'65年を境に上昇局面に転じることが出来た。これは北海道にも本格的なモータリゼーションが到来し、カーラジオによる聴取人口の増加と、放送の[生ワイド化]が大きな要因となった。

表18

北海道地区の広告シェアは依然として新聞が強く、全国レベルでは新聞VSテレビのシェアが縮まりつつある中で北海道地区はその差が縮まる事なく'70年代を迎えることとなる。

表19

1960年代の10年間で北海道地区メイン4媒体(新聞、ラジオ、テレビ、雑誌)の広告費は約2.8倍の伸びを見せたが、その大半は中央広告主の出稿によるもので、地元からの広告費は全体の伸びの29%に留まっている。その原因はこの時代の中央広告主のテレビ広告費の投下額が大きく伸び額に寄与していることによる。

表20

データーは大川一司氏著[個人消費支出]を引用。

戦後は飲食費のウエイトが高かったが時代と共にこのウエイトが減少し、代わって雑貨のウエイトが高まってきた。これは次表に見られる[カラーテレビ、クーラー、カー]等所謂[3C]に対する購買意欲が高まり、消費者の購買動向が大きく変化してきた。

表21

1966年 カー、クーラー、カラーテレビが[新三種の神器]と呼ばれる。

北海道の乗用車の普及状況
1965年 79.276台
1970年 361.395台