札幌の文化遺産(国指定重要文化財)
豊平館
中島公園に移転した現在の豊平館です。現在は國の重要文化財に指定されていますが、外壁を縁取る美しいウルトラマリンブルーは、創建当時の姿をそのまま留めています。
(註)耐震工事を終え2016.6月リニューアルしてオープンしました。
[豊平館]は、明治、大正、昭和の3代の天皇が行幸啓に際して宿泊された由緒ある建物です。明治14年8月北海道開拓の視察のため小樽港に上陸された明治天皇は、機関車[義経号]の牽く開拓使号をお召し列車として札幌においでになり以後4日間豊平館を行在所として市内および近郊の開拓状況を視察されました。明治4年には皇太子殿下(大正天皇)の行啓に際しても豊平館を宿泊所とされました。また、大正11年7月には摂政宮殿下(昭和天皇)も宿泊されています。
リニューアルした豊平館を紹介します。
1階の構成図です。
ロビーを中心に西側に[会食所][下の広間]があり東側には通路を挟んで北面に[ユリの間][フヨウの間]があり、南面には[帳場][ヒメユリの間][ブドウの間]が並んでいます。
下記の写真上が[会食所]下が[下の広間]です。
[ユリの間]
[フヨウの間]
この部屋の間向かいには[帳場][ヒメユリの間][ブドウの間]が並んでいます。[ヒメユリの間]は現在展示室として使われ
[明治初・中期の札幌]と題して歴史的な建造物のミニチュアが展示されています。
豊平館
開拓使本庁舎
2階の構成図です。2階ホールを挟んで西側には[広間前室][広間]がありホールと別棟との接続通路傍に[タケの間]があり、ホール東北面に[ススキとオミナエシの間],間向かいには[ムラサキの間][シャクヤクの間][ウメの間]が並んでいます。左図下の[楕円形]はバルコニーの部分です。
写真左サイドが[広間前室]で右サイドが[広間]です。広間前室を合わせると約172平方bあり、豊平館で最大の部屋です。天井飾りも2つあり豪華な佇まいです。188年(明治14年)の明治天皇行幸の際謁見場として使われました。
この広間には天井飾りが2基設置され前室との境壁面には[皇太子殿下(大正天皇)豊平橋御通過の図]が掲げられています。また、南面の壁には源実朝作の短歌を北海道書道展創立会員である松本春子さんが書いた作品が額縁に収められて掲載されています。
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[ムラサキの間]は、明治天皇行幸の際侍従が天皇への供進を行う部屋として使われました。現在は展示室として使われています。室内には[行幸・行啓関連資料]として数々の品が展示されている他、豊平館建築素材などの展示・解説なども展示されています。
豊平館跡]碑 は札幌大通西1丁目の市民ホール前庭の植え込みの中に佇んでいます。これと並んで[豊平館跡]の説明文と当時の札幌の地図が表示されています。
下図は、皇太子殿下(大正天皇)が使われた椅子。
水差しと洗面器
歯ブラシ入と石鹸入
[青銅花瓶]
切子硝子付きランプ
シヤクヤクの間]は、侍従長の部屋として使われました。
[ウメの間]は、明治・大正・昭和(皇太子)各天皇が使われた部屋で、今回内装、調度品などかっての姿そのままに修復して展示されています。
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[ツバキの間]は、現在結婚式場として使われていますが、当時は着替えなどされる[次の間]と[湯殿・御厠]の二部屋でしたが現在は一つに纏められています。
[豊平館跡]碑 は札幌大通西1丁目の市民ホール前庭の植え込みの中に佇んでいます。これと並んで[豊平館跡]の説明文と当時の札幌の地図が表示されています。
豊平館は開拓使が洋風ホテルとして1879年(明治12年)1月着工し、翌80年11月完成しました。(上図は、建築中の豊平館、下図は、竣工した同館です。 所蔵 北大付属図書館)。この建物は、開拓使札幌本庁舎と並ぶ開拓使の代表作品ですが、この建築に当たっても主要な設計は安達喜幸が担当したものです。当初は北1条西1丁目に建設されましたが、1958年(昭和33年)新しい市民会館建設のため中島公園に移転しています。豊平館最初の宿泊客となつたのは明治天皇で札幌行幸に際し1881年(明治14年)8月30日から9月2日まで行在所に用いられました。
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