札幌の文化遺産(さっぽろふるさと文化百選)
八紘学園の洋館と牧舎
八紘学園は正式には[北海道農業専門学校 八紘学園]です。1896年(明治29年)秋田県で生まれた栗林元二郎さんがその後北海道に移住し、1930年(昭和5年)この学園を開きました。
[八紘学園の洋館と牧舎]は、上図八紘学園の広大な敷地の中(○)にあります。
地下鉄東豊線[福住]駅をおりると国道36号線を挟んで北側に広がるのが[八紘学園]の敷地です。この敷地の中にある洋館が[栗林記念館]です。この洋館は1907年(明治40年)に月寒地区の開発功労者である、吉田善太郎氏の別宅として建てられたものですが、1933年(昭和8年)、八紘学園の創始者である栗林元二郎氏が購入して現在地に保存されているものです。。この建物は栗林の自邸となった後、現在は栗林記念館として改修され、同氏蒐集の馬の彫塑品・美術品・民芸などを展示しています。
この洋館は広い庭園の中にありますが、庭園は[栗林石庭]と呼ばれ、邸の入り口から様々な形をした石が配列されています。
60ヘクタールの耕地が広がる広い学園の校内には実習農場を始め、菖蒲園、養鶏場などが点在しています。写真は養鶏場の入り口のサイロです。白樺の木々が春の日差しに映える中に養鶏場がありますが、サイロがこじんまりとしたミニチュアの様で可愛らしい感じがします。
北海道を象徴するような牧舎の風景です。かつては[吉田農場]があった時代に建築されたもので最初は1基でしたが昭和18年に2基になりました。先程の養鶏場のサイロと比べるとスケールも大きく重厚感があります。現在は資料館として使われています。
牧舎です。この牧舎を見ていると、北大のモデルバーンの牧舎を連想します。古いこのスタイルがかっての牧舎のモデルだつたのかも知れません。八紘学園で有名なものに[ジンギスカン鍋]があります。北海道を代表するジンギスカン鍋ですが、この名前はここから始まったと言われています。1944年(昭和19年)月寒にある第25連隊が樺太に移動することとなり、この壮行会で栗林元二郎氏は兵士達には羊の肉であることを伏せ、モンゴル帝ジンギスカンの[雪原の闘い]をはなむけの訓話としました。羊肉の食習慣は大正時代にもあった様ですが、ジンギスカンと呼び始めたのはこの訓話によるものだそうです。
下図は[月寒じんぎすかんクラブ]です。
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