現在の[サツポロビール園]は、明治23年に建設された[札幌製糖会社]の工場跡地です。この赤煉瓦はイギリス製で1枚1枚に番号が付けられていると言う貴重なものだそうです。この後この工場は札幌麦酒会社の精麦工場(麦芽を作る工場)として昭和41年まで使われていたものです。
昭和41年7月1日、同社の創業90年を記念してビール園が開業しました。
博物館は1階から3階まであり、3階がメインの展示室です。ここではサッポロビールの原点でもある開拓使麦酒醸造所の誕生からその後の発展の過程、また、サツポロビールの歴史が時代毎に記述されています。広い展示室には時代毎のビールのラベルの変遷、ビールと歩んだ札幌の姿なども紹介されています。ビールの歴史を通じて過去の歴史を振り返る事が出来ます。2階に降りると展示物はがらりと趣を変えて過去から現在へと移ります。新しい消費時代の商品が一堂に陳列されています。この階で注目を引くのは[煮沸釜(ウオルトパン)]です。此はビールの仕込み時に麦汁を煮沸するもので、この過程が味や香りに大きな影響をもたらすものだそうです。ここでホップを加えて煮沸することでビール独特の苦みと香りが付けられるのです。この釜の直径は6.1b、高さが6.5メートルで、この釜は1965年から2003年まで使用されていたものだそうです。
村橋久成(1840年-1892年)は、薩摩藩島津家一門の出で、ロンドン留学後 1871年(明治4年)薩摩藩出身の黒田清隆次官がつとめる開拓使に採用され、ビール醸造所建設の責任者になりました。札幌にビール工場建設の生みの親とも言われ、知事公館前庭に胸像も建立されています。
(展示パネルより転載)
中川清兵衛(1848年-1916年)は、越後国(現在の新潟県)に生まれ、ドイツに わたりベルリンビール醸造会社で2年間の修業後帰国、1875年(明治8年)開拓使麦酒醸造所の醸造人となり村橋とともに開拓使麦酒醸造所開業に大きな役割を果たしました。
(展示パネルより転載)
隣接する大型商業施設Ario
隣接する北海道日本ハムファイターズ練習場
札幌麦酒工場の象徴的な煙突です。
ビール園の入り口です。
広い構内には現在[開拓使館][ライラツク館][ポプラ館]等があり、連日観光客で大変な賑合いを見せています。
この広い工場敷地に開拓使時代の面影を残す[開拓使館]が出来たのが、昭和41年です。その後札幌を代表する観光スポツトとして脚光を浴び観光客の来訪も多く、年々設備の更新が図られ、現在では名実共に日本一のビール園として名声を博しています。