手稲神社
[手稲区本町二条三丁目]





JR札幌駅から約20分で[手稲駅]到着です。かつては[軽川駅]と呼ばれていた歴史のある駅舎も姿を消して近代的な駅舎に変わっています。駅前から直ぐ近くに[手稲神社]があります。広く小高い丘の中に佇む社殿も境内もこの正面の鳥居からは見ることが出来ません。ここから階段を登り境内へと進みます。



正面鳥居側には[手稲神社由緒記]が設置されています。これを読んでもこの神社が歴史のある社であることが判ります。



階段を登ると第二鳥居の前に対で並ぶ狛犬が参拝者をにこやかに迎え入れてくれる様です。



第二の鳥居をくぐり境内を進むと奥に拝殿が鎮座しています。先程の由緒記にも記されていましたが、この神社は明治2年に札幌神社(現北海道神宮)を遙拝するための神祠が創建されたのが始まりです。その後明治29年には正式な遙拝所として認められ[軽川遙拝所]となりました。明治32年5月18日には[手稲神社]として認可され昭和16年には郷社になつています。初めての社殿は明治37年ですがその後数度の改築が行われ現在に至っています。この神社には、大正元年稲穂神社、昭和47年小樽内川稲荷神社、翌48年新川神社を合祀しています。そのためか祀られている御祭神も他の神社に比べて多いのでしょうか。


拝殿に進むと偶々扉が開かれ拝殿内を見る事が出来ました。非常に清楚で新しい木の香を感じるような趣です。この神社には、大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむじのかみ)、小彦名神(すくなひこなのかみ)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神(とようけおおかみ)、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)、菅原道真公が祀られています。

境内の碑



手稲神社の境内に建立されている石碑です。中央に[月山湯殿山神社]右に[羽黒山]左に[鳥海山]と刻まれています。これらは[出羽三山]に関連した神社、霊場かと思いますが、この石碑が建立された経緯は知るすべもありません。碑面には、大正6年5月願主千葉豊治という署名がありますので、この方が祈願した記念に建立したものかも知れません。



[牛馬塔]です。開拓時代に苦楽を共にした牛馬を供養するための塔だと思います。



[せのび石]と書かれ目盛りが記された石標です。お子様の成長を祈り参詣する親子が足を止めたくなるような場所です。案内板には[この石は、参拝の折々に子供の成育を見届け今後更なる成長を祈念するものです。又、(せのび=世のび)から、立身、出世、受験合格にもご利益があると言われています]と、書かれています。



鳥居の前に植栽され大きく葉を広げている[ご神木]で、[幸福を招く松]と記されています。案内板には[この黒松は手稲神社と正称された明治32年以前より開拓者によって植栽されていたと伝わり、正月の縁起物[福松さま]は、この松かさより調達したものです]と書かれ、受験生などには幸福を呼ぶ松として人気を呼んでいる様です。