現在の発展した札幌市の交通の原点は馬車鉄道に始まります。開拓使による札幌軟石輸送の手段として運行された馬鉄は、その後電車・バス時代を経て現在交通の主流は地下鉄となりました。地下鉄の運行にともなって市営バスは民間に委託され、市電も大幅な路線縮小を余儀なくされていますが2015年度には市電の路線延伸(ループ化)が実施され市民の利便性が高まりました。



上の写真は、馬鉄運行のきっかけとなった札幌市南区石山の砕石場跡地です。かっての砕石場の跡地として整備され、広場には数多くのパネルが設置されていて当時の採掘の様子が記録として遺されています。





上のパネルは、採石跡地の側の豊平川に架かる藻南橋の欄干に取り付けられています。



市内を走る馬鉄大正初期
札幌市交通局所蔵



馬鉄と札幌停車場大正初期
札幌市交通局所蔵

電車・バス時代


[馬鉄]時代に終わりを告げ、電車時代を迎える最大のきつかけとなつたのは、大正7年夏に札幌・小樽で開催された[北海道開道50周年記念博覧会]でした。電車運行を求める世論を背景に、[札幌市街馬車軌道株式会社]は、大正5年10月には、[札幌電気軌道株式会社]と改めて電車による経営に乗り出す事を決定して、大正7年4月に工事に着手しました。博覧会開催に間に合わせるべく工事が進められましたが、開幕日には間に合わず、8月12日に運行を始めました。当初の路線は[南1条西14丁目-東2丁目][北4条西4丁目-中島公園][南4条西3丁目-東3丁目]でした。その後電車は、民間の経営で順調に推移してきましたが、大正11年札幌市が市制を施行するに当たり、電気軌道の公営化が大きくクローズアップされ、大正13年には市会で満場一致で買収が議決されました。その後市と会社サイドとの度重なる折衝の結果、大正15年11月25日、会社と市は譲渡日を大正16年12月1日と定めて仮契約を締結しました。年号が変わった昭和2年12月1日午前零時を期して市営に移管し、市電としての新しい第一歩を踏み出すこととなりました。この時点での営業路線長は、16.3キロメートル、保有車両63でした。又、市営バスは昭和5年に運行が開始され、市内の住宅地の拡大にあわせて路線数も東西南北にあまねく張り巡らされ市民の足として大きな役割を果たして来ました。
下の写真は、大正・昭和初期の市電・市バスの運行する様子です。
1920年の創成橋



1918年南1条雪中の景



1929年 南1条西1丁目付近を走る電車



1952年 4丁目三越前



運行初期のバス



昭和12年当時の札幌駅前バスターミナルの様子です。



写真は[交通史写真帖 所蔵札幌市交通局)]より転載させていただきました。

地下鉄時代



札幌の交通アクセスばかりでなく、経済・産業面でも大きな変革をもたらしたのが地下鉄の開通でした。オリンピツク開催を翌年に控えた昭和46年12月待望久しかった地下鉄南北線が開通し、北24条-真駒内間を南北に縦断する新しい交通網がスタートしました。その後路線は逐次延伸して現在では、南北線(麻布-真駒内)、東西線(新さっぽろ-宮の沢)、東豊線(栄町-福住)と、3路線が走行しております




開業当初の電車です。



札幌の地下鉄の特徴の一つは、[中央案内軌条式鉄道]で、中央に案内軌条を設置し、車両は世界でも初めての本格的なゴムタイヤを使用しています。そのため騒音も少なく且つ乗り心地が快適だと高い評価を受けている地下鉄です。



札幌の地下鉄のもう一つの特徴は、[高架シエルター]です。南北線の平岸駅から真駒内駅までは高架方式を採用しています。

市電・市バスの現況


昭和5年以来市民の足として活躍を続けた市バスも平成16年3月をもって民間の事業者に委託されそれぞれ運行しています。



市電は、地下鉄の開通に伴い路線も大幅に縮小され現在は左記の路線のみとなっています。2015年には[すすきの]ー[4丁目]が繋がり[ループ化]されました。



また、経営の合理化を図るため、車体にも広告がついたコマーシャルカーも走行しています。