札幌市内を横断する国道36号線は、市内と豊平更には千歳、苫小牧に通ずる大動脈としての役割を果たしていますがこの36号線に架けられた現在の[豊平橋]は、初代の橋から仮橋を含めて23代目に当たると云われています(亘 信夫氏著[豊平橋の歴史より])。歴代の橋の中でも1924年に完成した旧豊平橋は札幌を代表する建造物で、当時は旭橋(旭川)、幣舞橋(釧路)と共に本道の三大名橋と謳われました。



現在の[豊平橋]が架かっている[豊平川]は、明治以前はアイヌ語で[サッポロベツ]と言われ、やがて[札幌川]に変り後に豊平の地名にちなんで[豊平川]になったと云われています。豊平川は、市内に入ってからは真駒内川と合流し札幌中心部を南北に縦断して最後は石狩川に流入する72.5kmの川です。札幌市は、この豊平川の扇状地の上に発展してきた街で、この川が札幌市民にとって[母なる川]と呼ばれる所以でもあります。この川には多くの橋が架設されてきましたが、永い歴史の中では数多くの洪水などが記録されており、橋の架け替えなど豊平川の治水対策には先人たちのご苦労も想像を絶するものがありました。数多くの橋の中でも豊平橋は、豊平川の歴史とともに歩んできた橋であると同時に札幌市を東西に結ぶ幹線道路に架設された橋として近代都市発展の大きな原動力でもありました。

豊平川にまつわる先人達





[豊平橋]の歴史は、明治4年4月渡船場の近くに架けられた二連の丸太橋に始まります。この丸太橋も雪解け水のため僅か1ケ月で流出し、その後何度となく架け替えられましたがいずれも流出の憂き目に遭いました。当時の札幌の人口は624人と記録されています。この当時豊平河畔に住み[渡し守]として活躍した二人の先人を忘れることが出来ません。
上図は、明治4年に架設された丸太橋です(所蔵 北大付属図書館)




この時代、豊平川と深い関係にあった人物の一人は志村鐵一氏です。安政2年(1855年)幕府は蝦夷地を直轄地として箱館に奉行所を置き、石狩に[調役]を設けました。三代目の調役荒井金助氏は豊平川の右岸に志村鐵一、左岸に吉田茂八両氏を渡し守として住ませました。渡し船の位置は現在の豊平橋の付近と言われています。現在豊平橋右岸の小公園(ルネッサンスホテルに近接)に[志村鐵一碑]が建立されていますが、志村鉄一は、安政4年現在碑の建っている場所から約120メートル川下に住居を設け農耕の傍ら豊平川の渡守を営んでいました。この住居は[通行屋]として当時この地を通過する箱館奉行以下の宿泊所でもありました。この碑は昭和42年(1967年)に志村氏の住宅の遺跡から移されたものですが、碑文には[氏は信州の剣客にして、石狩調役荒井金助の召に応じ、安政4年に移住す。幕名により豊平川渡守となり駅逓を兼ねる]と書かれています。









大正12年豊平河畔の旧住居跡に建立されていた碑です。前述のように昭和42年に現在地に移設されました。(所蔵 北大付属図書館)




[志村鉄一碑]とは対照的に幌平橋の左岸の小公園の中に[吉田茂八碑]が建立されています。吉田茂八は、岩手県宮古に生まれ安政2年に蝦夷地(北海道)に移住しました。安政4年には、先述の荒井金助に命じられ、志村の対岸に移住しました。吉田茂八の職業は土方職(請負業)で、明治4-5年には大岡助右衛門の下請けで現在の創成川南3条から南7条を掘削し当時は[吉田堀]と呼ばれ、札幌村の大友亀太郎が掘削した[大友堀]と並び称せられたものです。

豊平橋架設の歴史


明治4年に架設された丸太橋も雪解け水のため僅か1ケ月で流出し、その後何度となく架け替えられましたがいずれも流出の憂き目に遭いました。この様な状態を危惧した当時の開発使長官黒田清隆の命により明治8年新しい橋の架設が行われました。この橋は、同年の12月に竣工しましたがこの橋も明治10年の出水で流失してしまいました。




上図はホイラーが修復した橋(明治11年1878年10月)竣工
明治13年発行されていた[北門時事]にはこの橋を評して次の様に書かれています。[豊平川に於いては縹緲霓虹(遠くはるかに見える様子はまるで虹の様だの意味)の如く広壮無比の釣り橋を見ては札幌第一の大観である]
資料(豊平川の橋物語 財団法人 石狩川振興財団発行)を参照しました。
所蔵 北大付属図書館
明治30年北海道庁時代には永久橋の架橋が計画され、北海道では初めての鉄橋が竣工しました。しかし翌々の明治32年の大洪水は、札幌市にも甚大な被害をもたらしこの鉄橋も橋脚が傾き翌年の出水で落橋してしまいました。所蔵 北大付属図書館

新豊平橋竣工



大正10年起工して大正13年8月26日完成した新豊平橋はタイドアーチ式で、橋長120b70、巾員18b29で、当時では超豪華な道内第一の名橋と称されていました。この豊平橋には岡山県万成産の赤色花崗岩の立派な親柱や袖高欄が設けられ、親柱の上には鋳鉄製の電灯設備が置かれていました。
所蔵 札幌市中央図書館




大正14年(1925年)には市電が開通し、豊平サイドの終点では定山渓鉄道の豊平駅があり札幌の名物の一つに数えられていましたが、市電は地下鉄の運行を機に廃止されされました。

所蔵 札幌市中央図書館

現豊平橋



この新豊平橋もその後急増する交通量に対処出来なくなり新しい橋の架設が必要となりました。そのため名橋と謳われたこの橋も42年の歴史に幕を閉じ昭和41年(1966年)現在の豊平橋が竣工されました。長い間市民の足として活躍してきた市電も昭和46年(1971年)10月豊平橋から姿を消す事となりました。




この橋は、橋長132.2m、幅員27.0mで、札幌から千歳方面に通ずる幹線道路である国道36号に架かっています。




豊平橋から札幌市内中心部に向けての下流に目を転ずると、橋の下流約300bに全長178.4bの[豊平橋第一水管橋]更にはその先に[でんでん大橋]の美しい姿が目に飛び込んできます。




橋上から上流を俯瞰すると藻岩山を始め中島公園地区の高層マンション群が目に飛び込んできます。