三谷牧場牛舎・サイロ

JR函館本線[発寒駅]から徒歩で7-8分のところにある[三谷牧場牛舎・サイロ(西区発寒8条13-1)]は、札幌郊外に残された文化遺産として、札幌景観資産第3号に指定されています。かつての牧場は開拓が進み宅地化していますが、[まきばの郷]と名づけられているこの一帯には、かつての牛舎・サイロが遺され隣接地には高齢者マンション、三谷家の住宅があります。



JR発寒駅を降り南口連絡路から街中を進と[桑園発寒通(写真右)]に出ます。この通には[発寒西公園(写真左)]やショツピングセンター(ラッキー)があり、三谷牧場の牛舎はこの公園と背中合わせになっています。


発寒西公園です。


この通を少し進むと[西野屯田通]との交差点でここを右折します。


このポプラ並木が切れるあたりが[まきばの郷]の入り口。

敷地入り口の案内盤には次の様に書かれています。
[三谷牧場は昭和初期からこの地で酪農を営んできた。旧住宅は大正後期に札幌の中心部に建てられたと云われ昭和の初めに移転したもので当時流行した洋風のスタイルである。レンガ造りのサイロ・マンサード式屋根の牛舎などが沿道のポプラ並木と共に札幌近郊の牧場の形態を今に伝えている]*個人住宅は敷地内の奥にあり立ち入る事はご遠慮くださいとの表示があり撮影は出来ませんでした。
沿道入り口からみた建物の全景です。

手前が倉庫、中央が牛舎ですが、牛舎はレンガの一番広い面を見せて積むといった「木端積み」が特徴です。


このサイロは、独特のレンガ積み工法で建てられており、サイロと隣接する現在の発寒西公園との境にはかつてはポプラとハルニレの大木が並んでいて、開拓使時代の風景を残していましたが台風の影響で大木は撤去されてしまったそうです。先程紹介した[西野屯田通]のポプラ並木と重ね合わせながらこのサイロのある風景を眺めると開拓使時代の広大な牧場と牧歌的な風景が浮かんでくる思いです。JR発寒駅南口には[発寒駅開設記念碑が設置されていますが、これを読むと明治の頃は手稲山を望むこのあたり一帯は原始林から農村落に姿を変えつつあり、三重県から移住した三谷源太郎氏がこの地に牧場を拓いたのが明治39年で、その後地域の発達とともに住民サイドから鉄道へのアクセスの要望が高まるなかで、駅の開設のために牧場を放出したと書かれてあり、このあたり一帯が牧場であった事を知る事が出来ました。


かつての牛舎は現在[斎藤フアーム]として営業しています。営業時間前の訪問で内部を見学する事が出来ませんでしたが、屋根裏の梁の美しさが売り物の様です。ランチメニューも地元の食材のみを使つており、自家焙煎珈琲も大変人気があるようです。
当時としては珍しい煉瓦積みで造られた牛舎。