現在の知事公館は、かっての[桑園]の開拓に従事した庄内藩士が郷里に戻った後、開拓使はその宿舎を桑園事務所にしました。1892年(明治25年)桑園は分譲され、桑園事務所は当時開拓使に奉職していた森源三氏が官を辞してこれを購入して邸宅を設け自ら養蚕に従事しました。森源三氏は開拓使黒田清隆に請われて開拓使に従事した後、札幌農学校の第二代の校長を務められその後雨竜郡妹背牛で自営農場を開き妹背牛開拓の祖とも言われています。森源三氏の邸宅が後述のように三井クラブから現在の知事公館になったものです。
北海道の知事公館は、札幌市のほぼ中心北1条西16丁目の一角にあり、前は国道5号線が走り、道路を隔てて隣には北海道立近代美術館があります。広大な敷地のため外部の騒音も聞かれず静かな佇まいです。
この地帯は昔は[桑園]でした。今でもここから北の方に[桑園]という地名が残っています。この桑園が後ほど三井合名会社の所有となりました。現在の公館は1936年(昭和11年)同社の迎賓館として建設され[三井クラブ]と呼ばれて来客の応接に使われていましたが、昭和28年に道の所有となり現在の知事公館となりました。
知事公館の裏手(北側)は一面の芝生で美しい緑の絨毯です。所から公館の全景を撮した写真です。写真はここから写した公館の全景です。この建物は、鉄筋コンクリート・木造造2階建てで白い建物に赤い線が美しいコントラストを描いています。ここでは道内外の賓客を迎えての野外パーティなども行われる他、一般の市民も参加する知事との交流イベントなども行われています。この芝生上には安田侃さん、流政之さんが制作した彫刻が設置されています。
芝生の真ん中に二つの彫像が見えますが、これは流政之制作の[サキモリ2000と2002]です。2つの彫刻の高さは、207.5センチと191センチです。[サキモリ]とは、北九州の守備を勤めた兵士[防人]に由来したタイトルのヒト型の彫刻で、真ん中が空洞になつていますが、これは人間のあらゆる欲望を取り除いた姿をイメージしたといわれています。
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芝生には大きな石がモニユーメントとして置かれています。この作品は安田侃制作の[意心帰]で、1978年の有珠山の泥流災害を蒙った犠牲者を鎮魂するために作られたと言われています。いかにもどっしりとした重みがあり、北海道の大地に根を下ろしている雄大さをイメージしている様に思いました。
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この知事公館構内には1000年以上も前の遺跡が残されています。庭の一隅に案内板が設置されています。この案内板は[北海道知事公館構内縦穴住居跡のご案内]というタイトルが付けられています。内容を要約すると[明治年間に発刊された札幌沿革史の記録によると札幌地方で縦穴住居が多いのは琴似川流域でその数は860個と記されています。当公館構内にも17個の縦穴住居が点在していた様子が記されています。今から約1千年の昔、春から秋にかけて遡上する鮭や鱒を食料とした擦文文化期の人たちがこの地に住んでいた事を物語っています]。
知事公館には札幌の開拓に縁のある彫像・碑が建立されています。中央の[桑園碑]と[国富在農碑]については次の様な経過があるようです。明治45年(1912年)森源三氏の長男の広さんが、桑園の歴史を後世に伝えたいと[桑園碑]を建立しましたがいつのまにか改刻され現在の[国富在農碑]になってしまいました。1966年(昭和41年)復活したのが現在の[桑園碑]です。