札幌の文化遺産(さっぽろふるさと文化百選)

旧札幌麦酒会社工場

札幌の中心部から北3条通を東に進むと東3丁目あたりからかつての札幌麦酒会社工場の赤れんが群が目に入ります。壁面には[サッポロビール 創業明治9年]と書かれています。この界隈は開拓使時代は、現在の北海道庁(開拓使札幌本庁舎)からこのエリアには行政、産業等の建物が並列しており、当時を偲んで[ケプロン通]と呼ぼうと云う市民運動もあるぐらいです。この北3条通から北1条通の間が現在は[さっぽろフアクトリー]として工場跡地の再開発が進められ観光スポットとしても大変なにぎわいを呈しています。

1900年代初期にはそれまで全国に数多く存在していたビール醸造所も淘汰され、札幌・日本・大阪(旭ビール)・麒麟麦酒の4大会社が激烈な競合状態にありました。このような状況下、日本麦酒の馬越恭平氏は明治36年、札幌、日本、大阪麦酒の三社を合併しシェア70%台の大日本麦酒株式会社を発足させました。札幌に[開拓使麦酒醸造所]が出来たのは1876年(明治9年)です。現在は[サッポロフアクトリー]として札幌の観光スポツトとして脚光を浴びているこの場所です。この醸造所の建設に携わったのが村橋久成です。当時の札幌は人口僅かに3000人で荒涼たる原野だったそうです。このような環境の中で、大方の意見を振り切って札幌に工場を建設した事が今日の北海道発展に大きな貢献を果たしているのです。今もサツホロフアクトリーの中庭には大きな煙突と、[札幌開拓使麦酒醸造所]の文字が残されています。

かっての工場は見学館として活用されています。此処には、開拓使麦酒醸造所時代の歴史が数多く展示されています。

村橋・中川が中心となって建設された開拓使麦酒醸造所は、明治9年開業することとなりました。翌年には開拓使のシンボルである北極星をマークとした冷製札幌ビールがはじめて世に送り出されました。開拓使麦酒醸造所は現在の札幌フアクトリーで、この麦酒が現在のサッポロビールの発祥となっています。
開業式の庭先に積まれたビール樽には[麦とホップを製す連者ビイルとゆふ酒に奈る]と書かれています。所蔵 北大付属図書館
下図は、開業間もない開拓使麦酒醸造所の様子です。所蔵 北大付属図書館



1900年代初期にはそれまで全国に数多く存在していたビール醸造所も淘汰され、札幌・日本・大阪(旭ビール)・麒麟麦酒の4大会社が激烈な競合状態にありました。このような状況下、日本麦酒の馬越恭平氏は明治36年、札幌、日本、大阪麦酒の三社を合併しシェア70%台の大日本麦酒株式会社を発足させました。
大日本麦酒(株)札幌支店時代の工場群 所蔵 北大付属図書館

現在の[サッポロフアクトリー]は、1993年開業した開拓使麦酒醸造所(後のサッポロビール第一製造所)跡地に歴史的な建造物を保存、再活用して作られた複合的な商業施設です。ここには、ホテル、グルメなどを含めた多種目のテナントが古い工場の建物の中にあります。建物の外壁には蔦が覆い茂り歴史の重みを感じさせてくれる建物です。この建物が文化百選のNO1に選定されています。