札幌冬季オリンピツクを始め数々の国際大会を繰り広げ、幾多の名ジヤンパーを輩出した現在の[大倉山ジャンプ競技場]は、かつては[大倉シャンツエ]と呼ばれていました。このジャンプ台は昭和6年10月に完成したジャンプ台ですが、建設は、シャンツエ構築の世界的権威者であるオラフ・ヘルセット中尉の設計によるものでした。総工費は5万円余りでアプローチの全長100m、幅6m、ランデイングバーンの全長130m、幅10-13mの[60m級シャンツエ]でした。大倉シャンツェの完成で本格的なジヤンプ競技が展開出来る様になりました。(北海道放送社史より転載)
現在のジャンプ台の側に[大倉喜七郎男爵顕彰碑]が建立されています。このジャンプ台は、昭和3年(1928年)に秩父宮から世界的なシャンツェの建設についてお口添いがあり、大倉男爵が快諾して、昭和6年(1931年)大倉土木株式会社(現大成建設)が工事を引き受け60メートル級のシヤンツェが完成しました。大倉男爵はこのシャンツェを札幌市に寄贈したため、昭和7年(1932年)1月の開場式で、大倉男爵の好意に応えて[大倉シャンツェ]と命名されました。本格的なジャンプ競技場の最初です。
左の写真は、昭和10年当時の大倉シャンツェです。札幌のスキー競技が大きく普及した要因の一つは、今日まで続いている[宮様スキー大会]です。昭和5年に秩父宮・高松宮来道記念大会を開催したのが宮様スキーの始まりで第一回大会から第三回大会までは何週間にわたり日曜日のみの開催でした。第三回大会からは新設された大倉シャンツエにおいてもジャンプ競技が開催される様になりました。
宮様スキー大会生みの親故大野清七博士顕彰碑
(北海道放送社史より転載)
左は現在の[大倉山ジャンプ競技場]の写真です。平成10年(1998年)には頂上に[展望台]が設けられました。リフトからジャンプ台の頂上に登ると眼下に札幌の町並みが広がり素晴らしい景観が見られます(写真下左)。夏場もサマージャンプ競技も行われ、札幌の新しい観光スポットの一つとなっています。又、ジャンプ競技場の入り口には2004年亡くなった詩人の川邨文一郎さんが札幌冬季オリンピツクのため作曲した[虹と雪のバラード]の詩碑が建立されています(写真下右)。この詩碑は、歌詞を記した黒御影石の銘板と、ギリシア神話の勝利の女神[ニケ像]をモチーフにした、高さ2.5メートルの翼の形をしたモニュメントで国松明日香さんが制作されたものです。
大倉山の裾野からエスカレーターを昇ったところに[札幌ウインタースポーツミュージアム]があります。此処には札幌オリンピツク時の資料や用具などを展示するほか、体験コーナーなども設けられ、オリンピツクの感激を今一度味あう事が出来ます。