札幌南区にある芸術の森に保存されている有島武郎邸です。有島武郎は、札幌農学校卒業後外国留学を終えて1908年(明治41年)再び札幌に戻り母校の北大で英語を教える傍ら文筆活動を続けていました。この家は、1913年(大正2年)5月に彼自身の設計プランで建てられ約1年過ごしました。その後は北大職員寮として、又、学生のための有島寮として使われていましたが、1986年(昭和61年)現在地に移転保存されています。
この碑は、北海道大学のキヤンパス近くの一角に建てられています。有島武郎は1913年(大正2年)8月札幌に永住を決意してこの地(北区北12条西3丁目)に自宅を新築し、翌1914年(大正3年)11月に妻安子の病気療養のためこの地を去るまで住んでいました。洋風の洒落た家で、その後長男行光(森雅之)主演の映画のロケにも使われました。
この碑の下段に歌が刻まれています。 [細君は中々いいものさ 君も早く結婚し給え]と仰有るようになりたい。 有島安子遺稿集[松むし]より。
有島武郎は、札幌農学校を卒業ごアメリカに留学しましたが、その後札幌に戻り農学校の講師に就きました。札幌時代の明治43年3月に神尾安子さんと結婚し、上白石村2番地(現在の白石区菊水1条1丁目)に住んでいました。豊平川の河畔で大きな林檎園の中に立てられた住まいで、かつては、武者小路実篤、画家木田金次郎が来訪した記録も残されています。有島作品の[生まれ出づる悩み]は、木田をモデルにして彼が来訪した時の事を書いたものです。現在当時の住まいは[開拓の村]に保存されていますが、豊平河畔にある[豊平川河岸公園]内に左の写真の様な表示板が設置されています。
写真は、有島武郎が結婚後の1910年(明治43年)10月から約1年間住んだ住居です。この住居は厚別区[開拓の村]に保存されています。
北海道博物館所有
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左は有島邸の座敷の様子です。部屋のまん中に火鉢が置かれていますが、冬の暖はこの火鉢だけだったのでしょうか。部屋の隅にはベビーベツトも置かれています。
北海道博物館所有
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