現在の植物園は、およそ13万3千uの敷地の中に4,000種の植物を栽培・分類して生態的展示を行っています。北大植物園は札幌の自然の歴史を語り続ける博物館的な存在です。この植物園が生まれるきつかけとなつたのは、クラーク博士の提言に基づくもので、札幌農学校は所有する温室とその付属地など(現在の中央区北4条東1丁目付近)を合わせて植物園を設立することとし、1880年頃(明治13年頃)には、北海道産の樹木70種ほどの移植を行っています。1883年(明治16年)、農学校の助教授となつた宮部博士は新しく植物園の設立計画責任者となり設立に着手しました。その後1884年(明治17年)博物場及び付属地約15,000坪が植物園用地として農学校に移管され、ここに現在の植物園が誕生することとなりました。1900年(明治33年)には、宮部博士が初代園長に就任し、1927年(昭和2年)二代目園長伊藤誠哉教授が就任するまで園の整備拡充に心血を注がれたのです。写真左は[湿生植物園]右が[高山植物園]です。
北海道大学北方植物圏フイールド科学センター植物園・博物館
現在植物園は[北海道大学北方植物圏フイールド科学センター植物園・博物館]と名称が変わっていますが、園内の施設は以前と変わりなく通称[植物園]と呼ばれています。[植物園]と書かれた案内ボードが正門の標識と並んで設置されています。
園内の登録有形文化財
博物館は我が国最古の博物館ですが、明治15年開拓使の放羊場に[札幌博物場]が建てられたのが始まりです。その後明治17年に放羊場は植物園用地として札幌農学校に移管されて整備されて現在の植物園となつたものです。下図は明治15年の札幌博物場の開業式の模様(所蔵 北大図書館)
左図は、1898年(明治31年)竣工の
バチェラー記念館で「アイヌの父」と呼ばれたイギリス人宣教師J.バチェラーが離日する1940年まで居住していた邸宅です。当時は現在の北3条西7丁目にあり木造2階建の屋根の中央に煉瓦造りの煙突が2本備えつけられ、十字架も掲げられていました。昭和37年北海道から寄贈を受け植物園内に移築しました。移築後は民俗資料館として公開していましたが、現在は同氏の遺品を納めた記念室を2階に設置し、建物は収蔵品施設として利用しています。
(註)説明文は、建物に設置されている案内板から引用しました。
1901年(明治34年)竣工した
博物館事務所です。正面(北側)中央に切妻形の庇をつけた出入り口を設け、基礎は煉瓦積み、床下換気口はアーチ形で鋳鉄製のグリルをはめ外壁は堅板張り、上を下見板張りとしています。小屋組は、キングポストトラスで建物内部は3室からなり、壁面・漆喰仕上げで各部屋には天井中心飾りがあります。窓は外側を上げ下げ、内側は開き戸とする二重窓となつています。室内の机・棚等も新築当時の設備品として重要文化財に指定されています。
(註)説明文は、建物に設置されている案内板から引用しました。
1885年(明治18年)現在の博物館事務所位置に竣工した
博物館倉庫です。1900年(明治33年)に現在地に移築しました。新築当初は平屋建て切妻造りでしたが、現在地に移築されたあとマンサード形の2階に改められました。
(註)説明文は、建物に設置されている案内板から引用しました。
この建物は、1911年(明治44年)竣工した
植物園門衛所です。切妻造の主体部に半八角形の張り出しを作り正面(北側)として出入り口を設けています。外壁の腰を堅板張り、その上を下見板張り、小壁をタスキ形に桟を入れて飾り、妻は飾り吊り束を用いてアーチ形に造られています。内部は半八角形の部分を板敷きの見張所、主体部を畳敷きの休憩所としています。
(註)説明文は、建物に設置されている案内板から引用しました。
植物園と宮部金吾
植物博士として、又、北大植物園生みの親として良く知られている、宮部金吾(みやべきんご)は、学者としてのみならず札幌市発展の功労者として1924年(昭和24年)7月10日、札幌市名誉市民第一号の称号が贈られています。宮部金吾は、1860年(万延元年)江戸で生まれ、1881年(明治14年)札幌農学校を卒業、2年間東京大学に派遣され、帰校後は札幌農学校の助教授を拝命し、植物園の開設を命ぜられています。博士は、生涯を植物の研究に捧げられましたが、敬虔なクリスチャンとして札幌独立教会を創立しその維持発展にも尽力を尽くされました。1947年(昭和22年)3月16日、満90才で他界されました。
所蔵 北大付属図書館