札幌の文化遺産(さっぽろふるさと文化百選)
平岸りんご園跡
豊平区にある天神山緑地は、標高85mの天神山にあり,64.178uの広大な広さを誇る市内でも有数の緑地で,頂上からは藻岩山が間近に見え,札幌市街や遠くは石狩まで眺望することができます。緑地内には日本庭園や梅林なども設置されていますが,開拓時代には平岸一帯はリンゴ園で栄えた場所で、これを記念して平岸林檎園記念歌碑など林檎にまつわる碑などが建立されています。
平岸リンゴ園の跡地であったというパネルが立てられています。ここには次の様に記されています。[平岸は明治の頃からリンゴの栽培が始められ大正期から昭和20年代にかけて全盛を誇った。かってこの天神山のふもとを始め周辺一帯はリンゴ園が広がっていたが、その後の人口増加に伴い急速に宅地化され姿を消した。[平岸リンゴ]に因み、環状線通りにはリンゴ並木が植えられ、毎年[リンゴまつり]が行われている。
環状線沿いに植えられている林檎の並木
[りんご並木の碑]揮毫は当時の板垣札幌市長
豊平区にある天神山緑地に建立されている[平岸開基120年記念碑]です。この記念碑は1990年(平成2年)5月15日の記念植樹の際に建立されたものです。平岸はアイヌ語で[ビラ・ケシ・イ](崖の・尻のところ)と言う意味だそうです。ここに初めて開拓の鍬が入れられたのは明治4年(1871年)で、現在の岩手県人が入植したのです。1872年に平岸村が誕生しています。このように平岸は今から135年の歴史を持つ古い街でもあります。その後様々な変遷を経て現在は札幌市豊平区となっています。
天神緑地の林檎にまつわる歌碑
緑地の小高い丘の一隅に[石川啄木句碑]があります。句碑には[石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ]と刻まれています。この句は啄木が函館代用教員時代に知り合った橘智恵子について詠んだものです。当時札幌郊外で果樹園を経営していた智恵子の実家(現東区)の風景が詠われたものだそうです。平岸の林檎園と啄木は直接関係はありませんが、かつてリンゴで有名であった平岸リンゴを記念してこの句碑が建立されたものです。
[天神山緑地]内に設置されている[林檎園日誌]碑です。この碑には林檎園を経営する一家の作業の姿が描かれていますが、この戯曲の舞台となったのは[安部林檎園]という林檎園で3代にわたって続けられてきた林檎園の事が書かれています。1947年には東京芸術劇場の第二回公演として初演されています。上演に当たっては[この作品は久保栄の戦後第一作で、詩情にチェホフを想はせ主題に[桜の園]を一歩出んとする生活詩劇である]と評論されています。